「見ようとすればすべて見えるんじゃないかと思っているんです」高木正勝
『おおかみこどもの雨と雪』と『バケモノの子』は大好きな映画です。
この映画の音楽を担当していた高木正勝さんが、あるサイトでおっしゃっていることがとても興味深かったので紹介します。
高木:最近はみんな「見えないもの」に重きを置いて、それにすがっているように感じます。
だけど僕は逆に、見ようとすればすべて見えるんじゃないかと思っているんです。倍音の話にしてもそう。それは実際に、現象としてそこにあるし、昔の人にはそのことが見えたからこそ、ピアノなどの楽器が生まれた。
僕はそれに、ここへ越してから気が付きましたし、たぶん、気が付きたくて越したんだと思う。
人口約20人の小さな村で暮らす高木正勝、「見えるもの」の発見
http://www.cinra.net/column/10sounds_takagi
高木正勝さんが暮らす家の周辺風景
作曲家は風景から音が聴こえて曲を創るのでしょうか・・・
そういえば、衆生を救う観音菩薩様は「音を観る」と書くことを思い出しました。
いきとし生けるものの、声なき声、音なき音を全てすくい取ってくださる慈悲深さを「観音」と呼んだ昔の人の感性に畏敬の念を感じます。
見ようとすれば(見えないものも)見えるとおっしゃる高木さんの映像作品を見て聴いていると、自分の体とそれを取り囲む空間の境目があいまいになり、何か原初の記憶のようなものを思い出せそうな感覚になります。
どうやら彼はある種の「界面」を描こうとしているのではないかと思い至るようになった。
曲になる前の音楽、誰が演奏するでもない音…なにかが産み落とされる瞬間のひらめきのようなものが漂う連続。
彼の映像は、細胞が分裂するかのようなモーションを見せることが多いのだけれど、
「分裂する細胞」を描くのではなく、「分裂」という動的な事柄こそ彼が見せようとしているものだと。出典 高木正勝という天才 - impact disc
かい‐めん【界面】
気体と液体、液体と液体、液体と固体、固体と固体、固体と気体のように、二つの相が互いに接触している境界面。相の一方が気体の場合は、一般に表面という。
高木正勝(たかぎ まさかつ) 1979年生まれ、京都府出身。繊細なピアノ演奏とコンピューターを使った音楽制作のほか、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像作品も手がける多才なアーティスト。2009年には日本語版『Newsweek』で「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれ、世界的な注目も集めている。オリジナル作品としては2009年に1stアルバム『pia』をリリース後、2013年『おむすび』、2014年『かがやき』などを発売。CM楽曲も提供しており、SHARP「AQUOS」、サントリー「南アルプスの天然水」、JR東日本「行くぜ、東北」など、誰もが一度は耳にしたことのある名曲も多い。細田守監督作品では2012年に『おおかみこどもの雨と雪』、2015年に『バケモノの子』の劇中音楽を担当。映像ではUAやYUKIなどのミュージックビデオを制作。2013年から兵庫県の山奥に移住し、制作活動をしている。
私は今年自分で野菜や花を育てましたが、種が育ち花や木になる様子を見ていて、小さな種の中に大きな生命が内蔵されている種ってすごいと思っていました。
ところが最近、ある本でこんな文章を見つけました。
「人は種の中に生命があるから種が木になると思っています。しかし、種が木になるのではありません。
種が生命に吸収されながら、その生命が作用して自ら変化するのです。
その生命が種を木にさせ、木に花を咲かせ、実をならせるのです。」
「悟りの瞬間」素空慈
その方は、私たちは変化しなければならない時には自分の世界に固執せず、安心して大いなる生命に吸収されることによってこそ成長することができる、と書いていました。
私は種の中にはやはり生命は宿っているのだと思います。ただ、種の中の生命だけで育っているのではないということ、種に内在する生命が変化を求め、それを取り巻く生命とお互いに出会い作用することで(大いなる)生命の中に吸収されながら、成長すると説明していることに共感しました。
自分の体が制限あるただの孤立した物体ではなく、果てしなく広がる豊かな生命の中に抱かれて、吸収されることで成長していくと考えることは私にとって自分の世界が広がるようであり、安らぎをも感じました。
肉体的な変化も大きな命との一体化のプロセスと思えば、老いることが劣化のように言うのは違うような気がしました。
内面的な変化も自ずからの必然なことなのでしょう。
変化の流れに身を任せていくことが成長であり、自然であるならば、抵抗せずに素直に吸収されようかと思いました。
高木さんの作品に触れて 目に見えない世界が自分にとって大きな関わりがあるのを感じていたら、最近読んだ本の言葉がすっと体に入ったので思わず書いてしまいました。
思いつくままの記事でわかりにくくてすみません。
自分の覚書みたいな記事なので、そっと流してくださいませ(*ノωノ)
なんだか堅かったのでハリネズミちゃんの動画でなごんでください。
険しい目が食べ物であっさり変わります(これこそ私みたい)
『ハリネズミの願い』でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。
谷川俊太郎さんが
「大笑いしてるうちにぎくっとして、突然泣きたくなる21世紀のイソップ」と絶賛した
『ハリネズミの願い』の紹介です。
(おおいにネタバレですので注意)
親愛なる動物たちへ
ぼくの家にあそびに来るよう、キミたちみんなを招待します。
・・・・・でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。
他の動物たちとうまくつきあえない孤独なハリネズミが、誰かを招待しようと思って書いた手紙です。
この手紙を読んだ時、「ああ、この手紙はまるで私だ!」と思ってしまいました(笑)
招待の手紙を書いたのに、今までだれも訪ねてくる友達がいなかったハリネズミは、もしも○○が訪ねて来たら?と想像して不安に襲われます。
もしもクマがきたら? ヒキガエルがきたら? ゾウがきたら? フクロウがきたら? ありとあらゆる動物が訪問する想像は突拍子もなく、それでいていかにもありそうでもあり、思わず笑ってしまいますが、ふと身につまされ・・・まさに先述の谷川俊太郎さんの言葉そのままです。
こんなに可愛い絵ですが、「孤独」「自分自身」「存在」「単純さと複雑さ」「空間と無」という言葉が登場したり、意外に哲学的だったりするんです。
ハリネズミが想像する、みんなが訪問することで起こるであろう「アクシデント」の底には、コミュニケーションについて誰もが持つ不安が横たわっています。
「自分を理解してもらえないのではないか」「一方的な要求や期待をされるのではないか」「お互いの話題がかみ合わないのではないか」「知らずに傷つけてしまうのではないか」という不安です。
<ハリネズミのジレンマ>という寓話を聞いたことがあります。
お互いに近づこうとするのですが、自分の身を守ろうとするハリでお互いを傷つけてしまうという喩えだそうです。
物語のハリネズミは自分のハリが嫌いで、それが原因でみんなに嫌われていると思っています。
好かれるためにハリがなくなった自分も想像しますが、悲しい気持ちになりました。
「ハリのかわりに翼をもっていたら、孤独ではなくなるのに・・・」 と思う一方で、そのハリを含めた自分のありのままをみんなが受け入れてくれることを想像します。
そんなハリネズミが訪問客を喜ばせようと、いろいろなもてなしをすることを空想するのですが、それぞれの結果(これも空想)に思わずドキリとします。
たとえば・・・
相手の言うとおりにしてばかりいて、自分が淋しくなっただけでなく、相手もがっかりして去ります。
「みんながおいしいと思うようにと、あれこれ付け足した雲の上までそびえたつケーキ」は結局「だれにとってもひどいケーキ」でした。
ハリネズミは思います。「ぼくは、自分でおいしいと思うケーキを焼くべきなのかもしれない」と。
こうして、さまざまな動物が訪れることを延々と想像しては不安や後悔を味わううちに、日は過ぎて冬眠の季節が近づきます。
本の題名である「ハリネズミの願い」はどうなるのかと、だんだん祈るような気持で読んでいきますと、とうとうハリネズミは最初に書いた招待状を破いてしまいます。
「やっとはっきりわかった。ぼくはだれにも訪ねてきてほしくないんだ」
もう誰も邪魔することはないだろうと思ったハリネズミですが、
その時、予期せぬお客が訪れます。
「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」
と、リスが訪問したのです。
その訪問はごく自然で、ささやかなものでした。
特別なことは何もしなくても、お互いがありのままでいながら、心地よい時間が過ぎます。
リスは招待されたから来たわけではありません。
心配や気遣いで訪問したのでもありません。
「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」
なんて素敵な理由でしょう!
「また会おうね」
ハリネズミは自分が知るもっとも素敵な言葉を胸に、安心して長い冬眠に入ります。
近づこうとするのになぜか、相手を傷つけてしまう自分。
そんな自分を見せないように、もっと別の自分になりたいと思って、自分らしくないことをして疲れてしまう。
嫌われることを怖がって相手の気持ちばかりを気にして、自分らしさがわからなくなってしまう。
ハリという孤独を持ったハリネズミは私とよく似ていました。
リスと一緒に過ごす時、ハリネズミのハリは身を守る必要はなく、そのままでハリネズミを美しくさせていたことでしょう。
リスの訪問の後、ハリネズミはそれまで 大嫌いだったハリを「自分にとって支えであり、頼みの綱である」と思えるようになるのです。
ありのままでいいのだと、自分一人ではなかなか思えません。
いくら大げさなほめ言葉や、高価なプレゼントをもらっても思えません。
お互いがそのままでいることがうれしいと思える友が一人いてくれたら・・・
ありのままの自分でいる幸せこそが、周りを幸せにすると思えるかもしれない。
欠点と思っていた自分らしさを支えとして、頼みとして生きることができたら、それはなんて素敵なことでしょう。
こんな大人のイソップ物語を作った作者は・・・
トーン・テレヘン Tellegen,Toon
1941年、医師の父とロシア生まれの母のもと、オランダ南部の島に誕生。ユトレヒト大学で医学を修め、ケニアでマサイ族の医師を務めたのちアムステルダムで開業医に。1984年、幼い娘のために書いた動物たちの物語『一日もかかさずに』を刊行。以後、動物を主人公とする本を50作以上発表し、国内外の文学賞を多数受賞。取材嫌いでメディアにほとんど登場しないが、オランダ出版界と読者の敬愛を一身に集めている。『ハリネズミの願い』は大人のための〈どうぶつたちの小説〉シリーズの一冊。
この物語を読んで、ブログのことを考えました。
お互いが自分らしくあることで、お互いが元気になれる。
心のままに訪問し合い、安心して心を通わせる。そして「また会おうね」
それが私の願いです。
遅ればせながら、日記提出いたします。
お久しぶりです。みなさま、お元気ですか?
忘れられてしまわぬように、絵日記ならぬフォト日記を提出いたします(〃艸〃)
今年は庭に野菜やお花を育てました。
キュウリのツルが指に巻いてくれたのは嬉しかったです!
キュウリとトマトはたくさん採れて、買わずにいろいろな料理にして食べましたよ。
これはボリジ、食べられます。勇気の出る花だそうです。
ほんのり甘くて、ゼリーのトッピングにしていただきました。
清々しく、明るく、真っ直ぐで、元気をもらえます。
もちろん、海にも行きました!
台風で波が高かったですが、去年のように遊泳禁止にはなりませんでした。
完全防備の私(黄色いビキニのお姉さんではありません)
そして誕生日には主人から花をもらいました!何年ぶりだろう・・・
ジョバンニ君、すかさずチェック
こんなふうに過ごしております。
みなさまの記事も読ませていただいています💛
休んでいる間にスターをいただいたり、読者登録もしていただいて、本当に感謝しています。
また記事もアップしていきたいと思っていますので、その時はよろしくお願いします。
夜空のような砂浜。天にあるように地にも・・・
少しお休みします。
こんにちは。いつもありがとうございます。
実は私の仕事の方が立て込んで参りました。
それに加え、家族に気持ちをもっと向けてあげなくてはならないことがおきまして、しばらくブログをお休みします。
ときどきサボっては皆さんに心配をおかけすることがありましたので、きちんと休ブログ届を出しておきます(笑)
ヤン・リーピン「シャングリラ」祈りの舞い
東京レポート第2弾!<祈りの舞い編>
ヤン・リーピンの「シャングリラ」を観てきました!
「シャングリラ」の日本公演はisakuさんの記事で知りました。
以前から気になっていた公演でしたが、これが「シャングリラ」最後の公演と知り、すぐにチケットを予約しました。
「”シャングリラ”とは”美しい場所”を意味する言葉です。
私たちはこの作品の中で、人間が本来持つ”美しい気持ち”を表現しようとしています。
自然や生命に対する憧れや畏敬の念を言葉ではなく、昔から行われてきた踊りや歌によって表すのです」
(ヤン・リーピン)
ダンサーであり振付家でもあるリーピンさんは、雲南省の少数民族に昔から伝わる踊りや歌を自分の足で現地を巡ってリサーチ。
各部族の歌自慢、楽器・踊りの名手の若者をスカウトし、彼らをパフォーマーとした本物の雲南の歌踊を舞台で再現しました。
ヤン・リーピンさん自身も中国雲南省少数民族、白(ぺー)族出身。
幼いころから踊りが好きで「踊るために生まれてきた」と自身も語っています。
今では国宝とされる舞踏家ですが、恵まれた環境で順風満帆という人生ではなかったようです。
彼女が幼いころ、父が妻子を捨てて出奔。
リーピンさんは長女として11歳で妹や弟がいる母を支えることになり、月給が30元と聞いた歌舞団のオーディションを受けてプロのダンサーになりました。
太古より私たちは自然との関係の中でしか生きることができません。
時には優しい恵みであり、時には厳しい試練でもある自然に対し、私たちは自分の体を使って踊り、歌い、太鼓をたたき自然を司る神との交信をすることで、自然との関係をとろうとしてきました。
こうした民族的な儀礼や祭祀、日常の労働の歌は本来は人に見せるものではありません。
舞台化するにあたり、リーピンさんは「生命が求める」本来の歌や踊りである状態に舞台をもっていく行くことで、エネルギーを失わせないようにしているそうです。
リーピンさんは歌舞団の中で才能の点はもちろんですが、特殊な存在(問題児)でもあったようです。
幼いころから動物や自然と会話をするようにして踊ってきた彼女は、画一的な踊りのレッスンが大嫌いでよくサボったとのこと。
今でも「あなたの踊りの師匠はどなたですか?」という問いに
「しいて先生をあげるならば、昆虫」と答えたそうです。
リーピンさんには蝶のはばたく音が聞こえると言います。
全然聞こえないとおっしゃるかたもいますが、私にはとてもはっきり聞こえます。
白(ぺー)族には
「いちばん小さい音が、いちばん大きく聞こえる」
という言い方があるんです。
ものすごく小さな音ほど逆に大きく聞こえるんです。
それはどうしてか?という問いに・・
聞こうとする心があるから。
目で見ようとしないで、耳を澄ましてみると、小さくてささやかな音が聞こえてくるんです。
「それと、鳥の話し声も聞こえます。鳥と人間は使っている言語が違うだけなので、彼らが何を話しているか私には理解できるのだと思います。
ただ、それを言葉で表すことはできない。でも、何を言っているかわかるし、それを耳にするととても楽しい気分になれます。」
ヤン・リーピンさんの「シャングリラ」まさに「祈りの舞い」でした。
鳥肌が立つほどの祈りの舞いを観ることができたこと、私自身にとっても大きな意味がありました。
紹介してくださったisakuさんに感謝です!
中国でもなかなか観ることができないというヤン・リーピンの「シャングリラ」、今回の日本公演が最後と聞き驚きでしたが、新作の準備をしているそうです。
「今の社会は精神的なものが失われて、物質社会になってしまい、人と人との信頼感が失われてしまいました。
戦争は一人ひとりの心の中に、敵を作ってしまう。
大きな意味での戦争と、小さい意味での心の内側がすごく危機に瀕しているいるということです。」
今までは美しいものだけを表現してきましたが、これからはありのままの現実を表現すると言います。
彼女がこれから世界に向ける、新たなるメッセージに心から期待します。
5年前の東北大震災が起きて間もない時期、公演に日本を訪れたリーピンさん。
「それは当然のことです。」とテレビのインタビューで答えていました。
今回の公演中期間中に熊本で地震が起きました。
ヤン・リーピンさんの祈りの舞いがまさにこのタイミングで日本で舞われたこと、偶然ではないと思います。
ヤン・リーピンの「シャングリラ」今日が最終公演です。祈。
東京レポート <食べ歩き編>
東京レポート1弾! <食べ歩き編>
昨日ヤン・リーピンの公演「シャングリラ」を観に東京に行ってきました!
せっかくの東京なので横チンさんの紹介するお店に行ってみようと、場所と時間を考慮していくつか候補のお店を絞りました。
公演は渋谷で13:00開演だったので開店時間が11:30というところはキビシイかなと、結局秋葉原の「ゴーゴーカレー」にしました。(10:50開店)
ここはインパクトある記事だったので(*'ー'*)ふふっ♪
横チンさんが写していた「書泉ブックタワー」と同じ!(当たり前)
看板、同じ!
横チンさんが注文した「ロースカツカレーのエコノミーサイズ」同じ同じ!!
エコノミーサイズ、横チンさんには物足りなかったようですが私はお腹いっぱい。
キャベツはソースなしで。
隠れていますがついてきたのは、スプーンではなくてフォークなんですよ。
食べてみてその理由がわかりました。
ご飯によくからんで、初めてなのになぜか懐かしい、辛さもマイルドでとても美味しかったです。
ただ、お店の中は男性ばかりで、私、ちょっと浮いていたかも・・・
書泉タワーに上ってスカイツリーを見ようかと思いましたが、公演時間も迫り我慢していざ渋谷へ!
ヤン・リーピンの「シャングリラ」は東京レポート第2弾で書きますね。
レポートはまだまだ続きますよ。
感動の公演終了後、谷中銀座に向かいました!
横チンさんの記事を読んで、行ってみたかったのです。
渋谷から地下鉄を使って西日暮里で降りましたが、どっちに行っていいのか分からず(つめが甘い私)前から歩いてきた女性に聞くと「私もこれから谷中銀座に行くので、一緒に行きましょう」ということになりました。(助かった!)
お薦めのお店を教えてもらいながら谷中銀座に到着。
「では楽しんでくださいね!」と言われて別れました。
平日の夕方のせいかそれほど人は多くなかったです。
富士山の溶岩でパンを焼くと名打ったパン屋さん。
壁には鉄腕アトムのポートレートが。手塚治虫がファンクラブ用に描いたものだそうです。
パン屋さんの名前はもちろん「明富夢(あとむ)」
「ナディッフ・モダン」というトルコのランプ屋さん。
自分でも作らせてもらえるそうです。時間があったら作ってみたかった。
早お昼だったのでちょっと甘いものが食べたくなり、「和栗や」さんで栗のソフトクリームをいただきました。
ほんのり上品な栗の味、美味しかった~♡ (思わず一口なめてしまってから撮ったので、先っぽが変です・・・)
「和栗や」さんを出たところで「また会いましたね」という声。
先ほど案内してくれた方がワンちゃんを連れて目の前に!
谷中の友人に犬の散歩を頼まれているとのことです。
「ワン太」くん。もうおじいちゃんだそうですが、可愛い!
というわけで「ワン太」も一緒に谷中銀座を歩きました。
「うちには4匹猫がいるんです」とかおしゃべりをしながら歩いていると、
猫といっぱい遭遇することに・・・
この白い猫ちゃんはうちの子に似ていて、びっくり!
案内してもらった彼女とはすっかり仲良しになって、日暮里の駅がわかるところまで案内してもらい、握手して別れました。
「またぜひ来てください」「はい、きっとまた来ます!」(谷中に友達ができたよ!)
私のブログを伝えましたが、見てくれると嬉しいな。
こんな路地も・・・
さて、お土産です。
「やなかしっぽや」さんのねこのしっぽの焼き菓子
トラ柄のしっぽ、足あと柄のしっぽ。
中にカスタードクリームが練り込まれていました。
「和栗や」さんの栗シュー
トルコのランプ屋さんで買った小皿。手作り感がいい!
思いがけない出会いもあって、とても楽しい一日でした。
横チンさん、谷中銀座今度は私が案内しますよ!ヾ(--;)ぉぃぉぃ
何気ない日常がどんなに尊いものかと感じます。祈。
いく春をあなたに。
庭の草がぐんぐん伸びてきました。
かわいい春がどんどん過ぎていきます。
撮っておいた写真が置いてきぼりになりそうなので、あわてて更新です。
曲は私の着メロです。
可愛い歌なので合わせて聞いてください。
Minnie Riperton - Lovin' You (Official Audio) (HQ)
「仲良し」
イチゴの花びら、ふちがほんのりピンクです。
「Lovin' You」
まゆじゅんさんからのリクエスト「富士山と桜」
もうひとつ・・・
花びらいちまいのせて・・・