「残像」を観てきました。
「残像」を岩波ホールで観てきました。
昨年10月に急逝したアンジェイ・ワイダ監督の遺作となった作品です。
舞台は第二次世界大戦後のポーランド。ソヴィエト連邦の影響下におかれ、全体主義の波が押し寄せている中、本当の芸術とは何かを貫いた実在の画家の晩年を描いた作品です。
第二次大戦後、ソヴィエト連邦の影響下におかれたポーランド。スターリンによる全体主義に脅かされながらも、カンディンスキーやシャガールなどとも交流を持ち、情熱的に創作と美術教育に打ち込む前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ。しかし、芸術を政治に利用しようとするポーランド政府が要求した社会的リアリズムに真っ向から反発したために、芸術家としての名声も、尊厳も踏みにじられていく。けれども彼は、いかなる境遇に追い込まれても、芸術に希望を失うことはなかった。“芸術と恋愛は、自分の力で勝負しなければならない――”その気高い信念と理想は、今の不確かな時代にも、鮮烈な光を残していく――。 (岩波ホールのサイトから)
映画を観終わって東京の喧騒と沈黙の中を歩きながら(電車に乗っても歩いていても黙ってスマホを見つめている人ばかり)言いようのない不安を感じました。
当時のポーランドは今の私の生活とはかけ離れた世界で、私は自分の考えを言えて、やりたいことができる自由な生活を送っている。・・・そうなのでしょうか?
映画の中で、主人公は当局の指導者に「(お前は)どっち側なんだ?」と問われ「自分の側だ」と答えます。この言葉が心に響きました。
主人公は体制を批判しているのではなく、芸術の本質について主張しているのです。それは生きる本質であり、自分は自分の生きる本質の側にいるということなのです。それは他者の生きる本質でもあるはずで、全ての生きる尊厳でもあります。だからどんな弾圧にも(自分を慕う教え子が退学になったり逮捕されても)譲れないのです。自分だけの尊厳ではないからです。
しかし、全てのものの生きる尊厳を守り通す主人公は、個として全体主義社会で生きる尊厳を奪われていきます。大学教授の職も、芸術家として画材を買う権利も、食べ物の配給も奪われ、雪道を破れた靴で歩く一人娘の靴も買うことができません。こぼされたスープの皿を一瞬躊躇しながらもなめるシーンが辛いです。
病に侵されつつあらゆる仕事を求め、最後はショーウィンドーの中で倒れマネキンと一緒に非業の死を遂げる主人公。尊厳も何もない死に方でしょうか?私は最後まで「自分の側」を守り続けた尊厳を感じます。
映画を観て、はたして私には「自分の側」と言えるものがあるのだろうか?自分の生きる本質がわかっているだろうか?と考えました。芸術家だからとか、政治家だからではなく、一人一人の問題であるように思います。
自分の生きる本質を問うこともせず、疑うこともせず、誰かの意見に気を良くしたり憤慨し、誰かの言葉をつかって主張したりすることを自由だと勘違いしている。そうやって誰かの側につくことばかりを心配しながら流されてしまっているのではないか、そんな不安を感じています。
ワイダ監督の最後の言葉です。
一人の人間がどのように国家に抵抗するのか。
表現の自由を得るために、どれだけの代償を払わねばならないのか。
全体主義のなか、個人はどのような選択を迫られるのか。
これらの問題は過去のことと思われていましたが、
今、ふたたびゆっくりと私たちを苦しめ始めています。
――これらにどのような答えを出すべきか、私たちは既に知っているのです。
このことを忘れてはなりません。
アンジェイ・ワイダ 2016年、初夏。
アンジェイ・ワイダ (1926年3月6日ー2016年10月9日)
ポーランドに生まれ、青年時代に博物館で見た浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加。美術大学に進学するがその後進路を変えて映画大学に進学し卒業。
その後、共産主義体制下にあったポーランドで、弾圧を受けながらも不屈の精神で映画を撮り続ける。反ナチズムを訴えた「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」は「抵抗三部作」と呼ばれ国際的な評価を獲得。1981年のカンヌ国際映画祭で、最高賞パルムドールを受賞。
亡命してコスモポリタンとして華々しく活躍することを選ばず、社会主義体制に翻弄される祖国ポーランドの運命に寄り添い続けたワイダ監督。
親日家でもあった監督は、2011年の大震災の時にメッセージを寄せています。
◇大災害の日本に向けたアンジェイ・ワイダ監督からのメッセージ 2011年3月21日
日本の友人たちへ。
このたびの苦難の時に当たって、心の底からご同情申し上げます。深く悲しみをともにすると同時に、称賛の思いも強くしています。恐るべき大災害に皆さんが立ち向かう姿をみると、常に日本人に対して抱き続けてきた尊敬の念を新たにします。その姿は、世界中が見習うべき模範です。
日本の友人たちよ。
あなた方の国民性の素晴らしい点はすべて、ある事実を常に意識していることとつながっています。すなわち、人はいつ何時、危機に直面して自己の生き方を見直さざるをえなくなるか分からない、という事実です。
それにもかかわらず、日本人が悲観主義に陥らないのは、驚くべきことであり、また素晴らしいことです。悲観どころか、日本の芸術には生きることへの喜びと楽観があふれています。日本の芸術は人の本質を見事に描き、力強く、様式においても完璧です。
「日本人は自己の生き方を見直さざるを得なくなる時があることを常に知っている」という、ワイダ監督のメッセージを心して受け止めたい。