「残心」春を送る
静岡はもうすっかり春が過ぎていますが、写真の整理をしていたら名残惜しくてUPです。
(桜のはなびらが舞うのを喜ぶ姪っ子)
名残りを惜しむで思い出したのですが、先日新聞のコラムのタイトルが「残心」と書いて「おもてなし」とふりがなをつけていました。
弓道の残心は聞いたことがありましたが、「おもてなし」?と気になって少し調べてみました。
武道などでは技を決めた後でも気を抜かずに見届けること、相手に卑怯なことをせず、驕らず、高ぶらず、相手に感謝すること。
剣道の試合において一本取ったことを喜ぶ様(ガッツポーズなど)が見受けられれば、驕り高ぶっていて残心がないとみなされ、一本を取り消されることがあるそうです。
茶道では美しい所作の構えと、お客様の姿が見えなくなっても見送る、一期一会の心を教えているそうです。
何にても 置き付けかへる 手離れは
恋しき人に わかるると知れ
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
(以上wikipediaより)
この「残心」という概念は日本特有ではないか、と書いてあるサイトを見つけました。
それは正しく美しいことを継続するという意思と、相手を慮(おもんぱか)る優しい気持ちがあるのではなかろうか。
このサイトは武道関係でも茶道関係でも芸関係でもない、テクノロジー開発のサイトです。
「開発には残心が必要」という内容がとても良かったので紹介します。
思いがけず「残心」という奥深い言葉を知ることができました。
「残心」はものごとをきちんと終え、新たな動きの前の静寂をつくること。
私にはそんなふうに思えました。
今夜の夕飯のおかずです。
たけのこと蕨を炊き合わせました。
残心で味わいます。