「羊と鋼の森」森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。
「羊と鋼の森」
宮下 奈都
「森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。」
という書き出しで始まる物語。
高校の放課後の体育館で、偶然聞いたピアノの音に森の匂いを感じた17歳の主人公。
音は、ピアノの調律師が鍵盤を叩く音でした。
主人公はピアノを弾けないまま、調律師になることを決心します。
「明るく 静かに澄んで懐かしい、
少しは甘えているようでありながら、厳しく深いものを湛えている、
夢のように美しいが 現実のように確かな・・・」
これは、物語で主人公が先輩に「どんな音を目指しているのか?」と質問した時の先輩の答えです。
作家、原民喜(はら たみき)が憧れるという文体の言葉を引用して答えたのでした。
こんな文章や音に出会えたら・・・
いや、すでにこの民喜の言葉自体がそのもののように思います。
森、花、川、風、夜や雨の匂い、赤ん坊が泣く時の眉間のしわ、祖母が入れてくれたミルクティ・・・
あらゆるものには音があることに主人公は気づきます。
そしてそれを「美しい」と呼ぶことをおぼえます。
ピアノから木々が揺れ、森が現れます。世界が現れます。
ギリシア時代、天文学と音楽を研究すれば世界が解明できる、と考えられていたといいます。
古代の人は世界が音でできていることを知っていたのでしょう。
すべてが「根源の音」を持っていることを・・・
ピアノを弾けない私はこの本で、ピアノのことを知りました。
鍵盤から連動するフェルトのハンマーが鋼の弦を打つことで音を出す。
調律師はその羊毛を固めたフェルトをやすりで削ったり、針を刺して音を調節する。(他にも色々な調整方法があります)
物語の中で先輩が、古いピアノの音の良さは、山も野原も良かった時代に作られたからだと言います。
つまり、昔の羊は山や野原でいい草を食べて育ち、その健やかな羊の毛をぜいたくに使ったフェルトをピアノのハンマーに使っていたから。
ピアノの中には羊が入っています。
「美」と「善」という漢字の中にある「羊」。神への生贄にもなった羊。
ピアノで素晴らしい演奏ができたとしても、調律師が観客に称賛されることはありません。
でも私は、根源の音を呼び覚ます羊を世話する者は、なんと幸せ者だろうかと思いました。
「ピアノが、あらゆるものの中に溶けている音を掬い取って、耳に届く音にする奇跡であるなら、僕は喜んでその僕となろう」
すべてのものは音を持っていて、世界の中に音が溶けている。
隠されているものは何もなく、ただ見つけられるのを待っている音。
自分の中にも溶けて存在する音。根源の音。
私たちは根源の音を知っているはず。
その音に、
耳を澄ます。心を澄ます。身体を澄ます。
私たちは根源の音を知っているはず。
だから、自分が一生をかけてもほしいものは、一瞬でわかる。
この物語を読んで聞きたくなったのはやはり、エレーヌ・グリモーでした。
Water - Transition 5" & Franz Liszt "Les Jeux d'eaux à la Villa d'Este
何もかも、あらためて生みださなければなりません。(過去記事です)
以前、下書きのように書いた記事です。
季節外れですが・・・
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図書館で欲張って借りたけど、全部は読み切れそうもありません。
素敵な文を見つけたので、明日返す前にここに残しておきます。
きれいな装丁に惹かれて借りました。
「空と大地の時禱書」の帯文もいいでしょう?
星や太陽、雨、風、大地に立つ木や咲く花、草、そしてそこに生きる動物や人間の営みすべてを見つめる眼差しがそのまま詩のようです。
「一月は心配性の月」というのが楽しい。
その「一月と氷」から・・・
・・・すると今度は男の子が、窓のところに行って、
カーテンを少しまくって、こう言うのです。
「星がたくさん出てるね」
一家の主が笑顔になります。
「いよいよスケート靴の出番だな」
「寒いのが長く続くかしら」と母親がたずねます。
「星が出ているんだ、きっとそうなるだろう」
それだけ言うと、二人とも腰を上げ、
空模様を肌で感じるために扉を開けて外に出ました。
・・・・・・・・・・
(夜)それでも草木の世界は眠ったままです。
深く、満ち足りた眠りの中にあります。
だからこそ星たちは親しげに地上を見下ろし、静かな夜になじみ、
こちらに近寄ってくるようにも見えるのです。
・・・・・・・・・・
今は一年の始まりです。
何もかも取り戻し、強く求めていかなければなりません。
宝瓶宮の水から、夏至を彩る溢れんばかりの青と緑に至るまで。
何もかも、あらためて生みださなければなりません。
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星の数が多すぎて、押しつぶされるように感じます。
見れば見るほど、それだけ多くの星が降ってきますし、
いつまでも見続けていると、
星に魂を傷つけられるかもしれません。
星に別れを告げる時間になりました。
・・・・・・・・・・
凍えた空と無辺の大地を、そっと二人きりにしておかなければなりません。
空には大地の懐に深く食い込んでもらう必要があるからです。
空の侵入を待っていた大地は、
そこで初めて冬を受け入れ、
今度こそ間違いなく、冬が万物支配者になったことを認めるのです。
こんな感じで、(もっともっと素敵な言葉があるのですが)12月まであります。
「これは買ってしまうかも」という予感・・・
椿に似合う音
椿の花は あまり好きではなかった。
気がつくと色あせていたり、逆に毒々しい色に変色していたり
バッサリとおちて、バラバラになっていたり
そんなところ ばかり見て
そんなものだと 思って
椿は哀しい花ような気がしていた。
どうしてそんな風にしか
見れなかったんだろう。
タイのキムという楽器、
なぜか椿に似合うような気がするのです。
空飛び猫
「空飛び猫シリーズ」
ゲド戦記などの作者、アーシュラ・K・ル=グウィンの絵本(村上春樹訳)です。
生まれつき翼がある4匹の子猫のお話。
子猫たちは町のごみ捨て場で生まれましたが、お母さん猫に
『ここは子どもたちが成長するのにふさわしい場所ではありません。
おまえたちはここから出ていくためにその翼を授かったのです』
と言われ、空を飛んで旅に出るお話。
村上春樹の訳注も丁寧に解説されていて、
絵本の中では『ミィ、ミィ』という鳴き声が『私よ(ME)!私よ(ME)!』という救いを求めるメッセージであったり、
『ヒィ(嫌いだ)!、ヒィ(嫌いだ)!』という鳴き声も、
「HATE!」という人種差別や社会的不平等からくる憎しみを表していることがわかります。
またシリーズ3冊目では、幼いころにとても怖い目にあって言葉を話せなくなった一番下の子猫が、翼のない普通の猫から「辛かった時のことを表現するように」と働きかけられ、とうとう言葉を発することができるようになる場面もあります。
ファンタジーではありますが、作者の都会生活、機械文明に対する反発、差別のない世界、癒しを求めるメッセージを感じました。(さすがル・グウィン、村上春樹です)
両親の猫には翼がないのに 、どうして子猫たちに翼があるのか?
『この子たちが生まれる前に私が見た夢のせいかもしれないわ。
あれは空を飛んでこの町から出ていく夢だったもの』
と母猫は言います。
(空飛ぶ夢をみたせい?・・思わず、子どもたちの背中を見てしまった私です。)
こちらはわが家の「空飛ばない猫」たちです。
チーちゃん、(一番デカくなってしまった・・)
翼はないようです。
一番新入りのやんちゃジョビー。
唯一のお嬢さん、シャオ。(一番の名ハンター)
主人の服にすっぽり・・
ハンサムなニック。(お兄ちゃんなのに大人げない)
猫は翼で飛ぶのが似合う気がします。
犬は専用飛行機で飛びそうな・・・?
【魔女の宅急便】ルージュの伝言 Kiki's Delivery Service-movie sound track song
「花明り」
花の灯の下では 後ろに隠してきたものが見えてしまいそうで
ちょっと困って、下を向いてしまう。
花明り(はなあかり)…桜が満開で、闇の中でもそのあたりがほのかに明るいこと。
写真は陽ざしの中、梅も入れた「花明り」になってしまいましたが、 日本人の繊細な感性に感心します。
ソメイヨシノが咲き始めたら夜桜を撮ってみたいです。
夜桜、きっとめまいでクラクラしてしまいそう・・・
他にも花のつく言葉がたくさんありました。
(ちょっとsofiwindさん風に)
花嵐(はなあらし)…花どきに吹く嵐。/花がはげしく散ること。
花筏(はないかだ)…花が散って水面に浮び流れるのを筏に見立てていう語。
花笑み(はなえみ)…花が咲くこと。蕾(つぼみ)がほころびること。
こんな感じかな・・・
花帰り(はながえり)…新婦の初めての里帰り。
花霞(はながすみ)…遠方に群がって咲く桜の花が、一面に白く霞のかかったように見えるさま。
花曇り(はなぐもり)…桜の咲く頃、空が薄く曇っていること。
花心(はなごころ)…うつりやすい心。あだこころ。うわきごころ。/はなやかな心。
花妻(はなづま)…花のように美しい妻。新婚の妻。/萩の異称。鹿が萩を好むところから、鹿の妻にみなしていう。/花を親しんでいう称。
花の顔ばせ(はなのかおばせ)…花のように美しい顔。はなのかんばせ。
花の鏡(はなのかがみ)…池水などに花の影のうつるのを鏡に見立てていう語。
花の雲(はなのくも)…咲きつらなっている桜の花を雲にたとえていう語。
花の君子(はなのくんし)…泥の汚れに染まないハスの花を君子にたとえていう語。
花の袖(はなのそで)…桜色に染めた袖。花染めの袖。/美しい袖。特に、花見に着る女の晴れ着の袖。/花を衣の袖にたとえていう語。
花の波(はなのなみ)…花の散りうかぶ波。/花のたくさん咲いているさまを波に見立てていう語。
花の吹雪(はなのふぶき)/花吹雪(はなふぶき)…花の乱れ散るさまを吹雪に見立てていう語。
花冷え(はなびえ)…桜の咲く頃に寒さがもどって冷え込むこと。
花催(はなもよい)…桜の花が咲きそうなけはい。
読むだけで、情景が目に浮かびませんか?
言葉よりずっと確かな言葉
沈丁花の花の香りに立ち止まりました。
今回で100回目の記事です。
振り返るというのでもなく、前を見るというのでもなく、
手ぶらで、子どものように立っている感じです。
言葉を頼りに、言葉を信じてのブログですが、
こうして立っていると
言葉にならない言葉が聞こえます。(ホラーではないですよ(σ・∀・)σYO!!)
自分が伝えきれなかった言葉、
みなさんの記事には表われなかった言葉、
そんな言葉が聞こえてきます。
みなさんの言葉にならなかった、言葉よりずっと確かな言葉を聞きながら
子どものように立っています。
幸せな子どもです。
自分では伝えきれなかったと思う言葉も、
本当は伝わっているのだと信じられます。
言葉よりずっと確かな言葉
そんな言葉に支えられてここまで続けられたのだと思います。
100回目の記事で、ここを私の居場所としてもう一度をスタートするような気持ちです。
でも、今回のスタートは初めてのスタートと比べて
なんて心強いスタートでしょう。
だって、みなさんの言葉よりずっと確かな言葉が聞こえてきますもの。
幸せな子どもでしょう?
「バス停に立ち 宇宙船を待つ」 友部正人
友部正人詩集「バス停に立ち 宇宙船を待つ」
「バス停に立ち 宇宙船を待つ」 友部正人
もうだいぶ前のことになるが
ぼくはバス停に立って宇宙船を待っていた
どうしてそんなことをしたかというと
歌が行き詰っていたからだ
ぼくの歌に乗り物がなかった
どこにも行けないような気がしていた
・・・・・・・・
結局宇宙船は来なかったが
宇宙船を待っている感覚だけが残った
・・・・・・・・
そしてぼくは今ニューヨークにいて
その感覚に乗って生きている
バス停で待つ必要はなかったんだ
感覚は個人的な乗り物である
・・・・・・・・
時代は滑りやすくなっているから要注意
ぼくたちは真夜中のバス停で
雨が降るのを待っています
友部さんは歌を創る時のインスピレーションを「宇宙船」と呼んでいるのでしょうか。
詩の中で「結局宇宙船(インスピレーション)は来なかった」と言っています。
でも宇宙船を待っている感覚が残り、その「感覚に乗って生きている」とは自分自身が宇宙船になってしまったようなものだと思います。
自分自身が宇宙船であるならばバス停は自分のための目印のようなもので、待つ場所ではありません。
詩人は自身がインスピレーションそのものです。
唐突ですが、友部さんのいう「待っている感覚」は「祈り」のようだと思いました。
「祈ることはフィーリングである」という言葉を思い出したからです。
たとえば干ばつの時の雨乞いの祈りは「雨が降るように」と祈るのではなく
「雨に祈る」のだそうです。「雨が降ることを祈れば、決して雨は降らない」と。
充分に雨を感じることで、実際に雨が降ることになるそうです。
感じることが祈りならば、私たちは自分で意識せずにたくさん祈っています。
そして、その祈りは実現してしまいます(!)
自分が何を感じているかをもっと大事にしなくては、と思います。
私たちが願うことそのもののフィーリング、意識してそれを持つこと。
私たちはそれを選択できるはず。
時代は滑りやすくなっているから要注意
ぼくたちは真夜中のバス停で
雨が降るのを待っています
友部さんが紡ぐ言葉は、私にとってまさにインスピレーションです。
またもやわけのわからない文になってしまいました。
今夜は雨がよく降っています。
エンヤの Echoes In Rain をどうぞ。