孤独と自由と美しさ
私の結婚の条件は「一人でいることを許してくれる」だ。
環境的に一人になる空間は必須条件で、精神的にも一人になることを認めて欲しい。
なぜこんなことを書きだしたかというと、以前にも書いた光野桃さんの「自由を着る」というエッセイの「孤独なとき、あなたは美しい」という文章にとても考えさせられたからだ。
光野さんは孤独について、自分が求めようが拒もうが「孤独こそが人間の常態」だという。
さらに「孤独の意識は自分が人間だと自覚したときからはじまるのであって、自分が女だ男だという状態からは絶対に出てこないものなのだ」
「孤独とは独立した個人(人格)として広い世界に放たれた感じ」
という長沢節の言葉を引用している。(『孤独は愛と仕事を生む』長沢節)
一人でいることが孤独ではない。人間としての自覚が孤独である。
そうした孤独は寂しいとか、恐ろしいというのでもない。
本には「本当の孤独を知ったとき、優しさが私のなかで息を吹き返した」とある。
一人で生まれ一人で死んでいく、生きているうちにも誰のせいにもできないことがやってくる。人間としての限界を受け入れ、自分の弱さや脆さを受け入れて生きる覚悟を持った時、本当の孤独を知るという。
自分の本質を知ることで他者の本質に潜む弱さや脆さに触れることができる。そうやって初めて自分をとりまく世界とも本当に出会えるのだろう。
その出会いは優しく、豊かで、生き生きと、自由に違いない。
そんな「自由」を着て生きる人は美しいに違いない。
「孤独を引き受けてひとり立ったとき、美しいのだ。」
さて、私の「一人でいたい」はそれほどの覚悟があるのかというと自信がないが、周りのことに右往左往してしまってすっかり元気がなくなってしまう時、一人で自分の波長を感じていると元気になる。元気になると優しくなれる。今はこれでいいのかな。
猫鉢。彼も一人を大事にしている。