The Lesson of the Homeless Man
「ホームレスの教訓」
その日は寒い冬の日曜日だった。教会の駐車場はすぐに一杯になった。
私は車からでたとき、若い教会のメンバーが教会に歩きながら耳打ちしてしているのに気付いた。近づいてみると、教会の外の壁によりかかっている男がいた。
彼はあたかも眠っているように横になっていた。
彼はズタボロの長いトレンチコードを着て、顔が見えないように帽子を下げてかぶっていた。
彼は30年は履いてるような靴を身に着け、彼の足には小さすぎて、あちこちに穴が開き、爪もはみ出ていた。
私は、この男はホームレスで、そして寝ているのだと思い、教会の扉へと歩いて行った。
私たちは皆、しばらくの間、友好を温め、誰かが外で横たわっている男の話を持ち出した。
人々はクスクスと笑い、おしゃべりをしたが、私を含めて誰一人、彼に入ってくるようには言わなかった。しばらくして、礼拝が始まり、私たちは皆、演題を用意して説教者を待っていた。
教会の扉が開いたとき、
ホームレスの男が下を向いて通路を歩いてきた。
人々ははっと息をのんで、ささやき、顔をしかめた。
彼は通路を進み、説教台へと上がり、帽子とコートを抜いだ。
私は愕然とした。そこには私たちの牧師が立っていた。彼こそが、あのホームレスだったのだ。
誰も言葉が出なかった。
牧師は聖書をとり、台に置いた。
皆さん、今日私が何について説教しようとしているか言う必要はないですよね。
もし、あなたがたが人々のことを見た目で判断するなら、その人を愛することなど出来ないのです。作者不明
途中でどういう展開になるのか予想がついたかと思います。
昔話やおとぎ話にも教訓としてはよくあるお話ですが、なかなか現実社会で、それを実践することは難しいです。
私もホームレスの人に声をかけることはできません。
お互いに愛し合いたいと思いながらも、どこかで愛する対象を判断してしまっています。
愛する事に条件をつけてしまっています。
簡単に手をさし出せる人(条件にかなった人)に優しくすることは簡単です。
本当に助けが必要な人は、自分にとって声をかけることが難しい人かも知れません。
ホームレスのように 他の人も同じように感じるだろう人だけの事ではなく、
自分にとって優しさを向けるのが難しい人、そういう人に声をかけることができるようになりたいと思います。
また、この話で私は「助けが必要な人とは誰なんだろう」と思いました。
魂のホームレス
魂のホームレス、この飢え渇きには貧富に関係ありません。
かえって、なんでも手に入れながらも、心が満たされることなく彷徨っている人が多いのではないかと感じます。
魂のホームレスはなかなか見た目では分かりません。
ましてや自分がホームレスになっていたら助けようもありません。
こういう私も今ある幸せに気づかず、よく家出をしています。
魂はHOMEにいますか?
魂がHOMEに憩えるようにと願います。