「トーべは人類への贈り物です」 ビビカ・バンドラー
「ムーミン谷への旅」トーベ・ヤンソンとムーミンの世界 講談社
トーべ・ヤンソン(1914-2001)
若かりしトーベ
ご存知「ムーミン」の作者です。
父親は、真夜中に火事があるとトーベを起こして抱きかかえて火事見物に走ったり、嵐がきて人々がボートを陸に引き上げるようなときに、雷と嵐が最高潮になると家族をのせて船出する人でした。
一方、母親はトーベがまだ文字を理解できない頃から、毎夜のように絵本を読んで聞かせ、いくつになっても絶対的な安心感を与えました。
究極の冒険と真実のやすらぎ、「ムーミン」の核は両親から受け継いだのでしょう。
「ムーミン」に登場するキャラクターはみんな個性的で、魅力的です。
中でも”スナフキン”と”リトル・ミィ”は大好きです。
”リトル・ミィ”の名言集を見つけました!
誕生日に海で泳ぐトーベ
「ムーミン」は島ぐらしのなかから生まれました。
トーベは子ども時代からフィンランド湾の小島で夏を過ごし、1947年には弟と一緒ににフィンランド湾の小島を借り『たのしいムーミン一家』を執筆しました。
以後も1965年から1991年までクルーブ・ハル(通称ヤンソン島)という弧島で夏を過ごしました。
電気もガスも水道もなく、真夏以外は岩島かと思うような枯れた、桟橋もない島です。
嵐が来れば島の上を波が越え、質素な小屋は波しぶきに洗われるという不便で危険なこの島でトーベは数々の作品を生みました。
8月ころ島を去る時に、トーベは遭難者のためにメモを残します。
「かまどの空気が抜けない場合、春の終わり頃なら、煙突に鳥の巣があるかもしれません」
「南と東の紙シーツのカーテンは取りはずさないでください。秋の鳥たちが、家を突き抜けてしまいます」
「なんでもお使いください。ただし、まきは補充しておいていただけると、ありがたいです」
そして、玄関のわきの柱に鍵を下げておいたそうです。
ハル島のトーベの小屋
ハル島での生活とヨーロッパ旅行DVDの紹介映像。
楽しそうに踊るトーベがたまりません!
第二次世界大戦中、フィンランドはソ連軍やナチス・ドイツ軍に侵入され、首都ヘルシンキは連日砲弾にみまわれます。トーベのアトリエの窓ガラスも爆風で飛んだそうです。
こうした経験が「ムーミン」の物語に、自由であること、小さき者の主張というトーベ自身の心の叫びが込められているのだと思いました。
「ムーミン」は楽しいだけではなく、孤独や不安、あらがえない自然の恐怖、大人になるという試練などが織り込まれていて、大人になってこそ心に響く物語だと感じます。ここにきて、もう一度ゆっくり読みなおしたくなりました。
「私たち旅人は いつでもどこでも
なにがあっても 慌ててはならない。
旅人が整えるべき準備は 山ほどあるが
好奇心を抑えきれず 旅立たざるを得ないのだ
もう十分だと思えるまで・・・」
ト-ベ・ヤンソン
エピソードは「ムーミン谷への旅」から引用しました