世界はときどき美しい
雲の切れ目から太陽光が帯状に伸びて見える、私の大好きな光景です。
この現象を旧約聖書のヤコブが見た夢にちなんで「天使の梯子」とも言うそうです。
旧約聖書 創世記28章12節
「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。
とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。
ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
見よ、主が傍らに立って言われた。
『わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』
ヤコブは眠りから覚めて言った。『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。』そして、恐れおののいて言った。『ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。』
こんなに素晴らしい祝福を受けたヤコブは、どれだけ信仰の厚い人かと思いきや、実はとんでもない”ならず者”で、双子の兄を策略で出し抜き、父から全ての祝福を受けて恨みを買い、命を狙われます。夢を見たというハランヘ向かう旅も逃亡の旅でした。
自分がしていることが分からずに迷っている者が、回心する話はパウロはもちろん、近代でも「アメイジング・グレイス」の作者ジョン・ニュートンが奴隷商人だったことは有名です。
私には、神の恩寵というものがどういうものか、彼らに何が起きたのかはわかりませんが、「天から地に向かう梯子を天使が上ったり下ったりしていた」という所が気になっていました。
羽を持った天使がわざわざ階段を上ったり下ったりというのが、私には天使たちが梯子のことが”楽しくて、嬉しくて、うらやましくて仕方ない”様子に見えます。
この地に生まれて生きていく日々の中で、ふと光りを感じるような、愛されていること、愛したいと感じるような時に、梯子が現れるのではないかと思います。それが恩寵というのなら、そしてこの梯子を昇ることができる人間を、天使たちはとてもうらやましいのだと思います。
マルク・シャガール
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フランスの詩人 ジャック・プレヴェールの詩が重なります。
天にましますわれらの父よ
天にとどまりたまえ
われらは地上に残ります
地上はときどき美しい
この世のすべての素晴らしさは
地上にあります
あっさりと地上にあります
"Our Father who art in heaven" Jacques Prevert
プレヴェールは詩の中で、地上の素晴らしさや面白さだけでなく、悲しさ、むごさも詩っています。眼を背けずに全てを見つめます。そのうえで、「われらは地上に残ります」と言います。
そして、全ての命の一瞬のきらめきをとらえます。
ーあっさりとー
こんな詩を創る人間を、どうしたって天使はうらやましく思うに違いありません。