シモーヌ・ヴェイユ「何よりもまず、詩人でありたい」
シモーヌ・ヴェイユをどう語ればいいのだろう。
1909年2月3日フランス・パリに生まれー1943年8月24日イギリス・アシュフォードで死亡。
ユダヤ系フランス人の女性哲学者。
医師を父に持つ裕福で知的環境のなかで育ち、哲学の教授になるが、やめて病弱ながら一女工として工場生活に入る。スペイン内戦に義勇軍兵士として参加し怪我を負い帰国。その後も農場で働きながら社会的な活動を続け、肺結核で倒れるが、第二次世界大戦中「フランスの子どもたちに配給されている以上の食べ物はとらない」として栄養失調で短い生涯(34歳)を終える。
死後、膨大なノートが編集出版され思想家として有名になる。
生涯で3度、神の臨在に触れる神秘体験をするが、洗礼は受けず教会の外にいた。
ボーヴォワールに「宇宙全体と闘えるだけの、その心を羨んだ」と言わせた。
自分の思想について外側から眺めるように語ることを許さないヴェイユ。
「優れているとか、劣っているという言葉を用いる事態がどんなに腐敗した空気か」
と友人に手紙を書いた。
「言葉は(料理のように)比べるものでなく、食べるものなのです」
ヴェイユの言葉ー(記事内の色文字は全て)
こんなに大変なシモーヌ・ヴェイユを、私が無謀にも記事にしようと思ったのは、むごい事件がもう起きないように、という想いからです。
自分の中でも消化できていないヴェイユですが、最近ずっとそばに置いて読んでいた本を助けに、ヴェイユの言葉を「比べるのではなく食べる」ことができたらと思います。
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出版社: 慶應義塾大学出版会 (2010
誰かの身体を傷つけることが「法」によって保障され、かつその「権利」が「私」に与えられ、さらにその行為が極めて興味深いものであると仮定した場合、「私」にその人の身体を傷つけようとする手を控えさせるものはいったい何であろうか?
それは、「私」がもしその人の身体を傷つけたとしたら、その人が「他者」から悪を蒙ったという意識のために、その人の魂が引き裂かれんばかりの叫びをあげることを、私が知っているからなのである。
『ロンドン論集とさいごの手紙』
「私」のうちなるこの「他者の知」こそが、私に自分の手を控えさせるのだという。
私たちは魂の深いところでは、他者は私に「善」をなしてくれるものだと信じている。
この究極の「共通感覚」が自分の魂のうちににあることを、また、他者の魂のうちにもあることを忘れてはならない。
「他者の立場に身を置くこと」とは、「魂の痛みの叫び」を「沈黙のうちに」聞きとる感性をもつことであり、この感性は他者が実在しているという美の感情である。
この世界に「私」と同じ「他者」があるという必然性を美として享受できる魂をもつこと。
「他者の息づかいを美として感じ、その美を持続させたいと欲すること、このことこそが私たちがとるべき「非暴力」という抵抗ではないか」と本の筆者今村氏は言う。
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「その通りだ」と思いながら、しかし、この感覚があっという間にわからなくなってしまう私たち。
中国で百万人の大虐殺が起こっても、自分が知覚している世界の秩序は何の変化もこうむらない。
だが一方、隣で仕事をしている人の給料がほんの少し上がり、自分の給料が変わらなかったら、世界の秩序は一変してしまうであろう。
『前キリスト教的直観』
自らの都合に合わせて近くのものはよく見え、遠くのものは薄らぐという「錯覚」を私たちは持っている、とヴェイユは指摘する。
この錯覚をもつ私たちは、日々、深刻な事態を目の当たりにしているにもかかわらず、この深刻さを本当には感じられない。
これを今村氏は「感じられる無関心」と表現し、これほど恐ろしいものはないという。
なぜなら、「感じられる無関心」は虚無と不安を内側に抱えており、少しでもその不安を払しょくしてくれそうに見えたり、あるいは、自らの安全や幸福の保証を提示されれば、やすやすと「力の集団」の一員になってしまうからだ。ヴェイユはこれを「根こぎ」の状態という。
最大の危険は、集団の側に人格を抑圧しようという傾向性があることではなく、人格の側に、集団のなかに突進し、そのなかに紛れ込みたいという傾向性があるということである
『ロンドン論集とさいごの手紙』
魂に最も深い傷を与えるのは、暴力という形態をとらない暴力ではないだろうか。
「むしろもっとも心情的なごく日常的次元のやさしい気持ちのなかで、そうなってはならない人がそうなってしまう」暴力。
この「感じられる無関心」を引き起こす「錯覚」は自分を世界の中心と思う錯覚である。
この錯覚をもったままでは、私たちは世界とはつながることはできない。
私たちが中心的な位置にいるのだと想像することをやめるならば、知的にも、また魂の部分においても、そういう考えを放棄するならば、現実にめざめ、永遠にめざめることができ、真のひかりを見、真の沈黙を聞くことができる
『神を待ちのぞむー世界の秩序への愛』
世界の中心を自分から移動させることは、<自己が自己から離れる>ことだという。
<自己が自己から離れる>ことで、次元が変わり世界は一変する。
海の中の魚のようではなく、海の中の一滴の水のように
『前キリスト教的直観』
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<自己が自己から離れ>、かぎりなく無に近づく時、現実の中に<真空>がつくりだされる。
この現実の裂け目に「実在」があり、「美」があり、ヴェイユはこれを「詩」という。
彼女の詩的言語が放つ美は、自己が無になるほどまで実在に密接したあらわれである。
一枚の絵、一曲の音楽、一遍の詩に出会う時、私たちはそのものではなく、そこに生まれた<真空>によって実在に触れる。
絵の中の沈黙の空間に、音と音の間の沈黙の瞬間に、詩の言葉にならない沈黙において実在に触れる。
自分を中心におくのではなく、自分を離れ無に近づく時、世界の美しさに触れることができる。
これが「根をもつこと」であり、恐ろしい「感じられる無関心」から抜け出す方法だとヴェイユは言っている。
そして、自分から自分を離すために必要なものは「純粋な注意力」だという。
悪を断ち切って善へ向かうのではなく、悪の直中にありながら善を渇望することであり、魂のすべてを挙げて向き変えることだと。
純粋さとは穢れをじっと見つめる注意力をもつことである 『カイエ 2』
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とても抽象的な内容になってしまったかもしれないが、今村氏はこのようにも言っている。
もっとも抽象的なものは、もっとも具体的なものにぶつかった時に一挙に花開く。
そしてもっとも具体的なものとは『戦争』という世界が悪一色で染め上げられた現場である。
「見える世界」が極度に重んじられる現代にあって、「見えない世界」が根をもってはじめて「見える世界」が豊かに花開く。
労働者に(つまり私たちに)必要なのは、パンでもバターでもなく、美であり、詩である
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ヴェイユは、奇異とも見られるストイックさで極端に生きたように見られるかもしれない。
彼女がなにをしたかではなく、何を手にすくいとったのかを見なくてはならないと思う。
彼女は美しさを知っていた。美しさを持っていた。それは恩寵・・・
多くの作品の中で、言葉による詩は少なかったかもしれないが、彼女はヒトラーの暴力の渦巻くただ中で最後まで詩を生きた「詩人」だった。
ヴェイユは死の直前、両親に宛てた手紙でこう述べている。
自らのうちに純金の預かり物が宿ったという感覚があるが、この純金の預かり物を受け取ってくれる人がいないのではないかという気がする。
なぜなら、この純金の預かり物は緻密であり、分割できず、これを受け取るためには、注意の努力が必要であるが、誰もこの努力をしてくれないのだから・・・
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結局ヴェイユを語ることはできなかったと思います。
ヴェイユは語ることができる外側に存在しているのではないかと・・・
でもとても大事なものがあるという事だけは感じているのです。
彼女が預かったものが何なのか、惹かれてやみません。
少しは彼女の言葉を食べることができたのかどうか・・・
「それは行いにあらわれます」
ヴェイユの声が聞こえたように思いました。
純粋な注意力をもって、自分をとりまく社会と、そしてなによりも自分に、向き合おうと思います。
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多くのことを為して短い生涯を駆け抜けたシモーヌ・ヴェイユ。
「何よりもまず、詩人でありたい」と語っていたといいます。
最後に「現代詩手帖特集版」に論考を寄せた河津聖恵さんの文を引用します。
何よりもまず、詩人でありたい 河津聖恵
私たちはときに、自分の本当の名前のように、あるいは人間の美しさそのものに感じ入るかのように、ある人々を「詩人」と呼ぶ。
実体というよりもこの世の言語の支配を逃れえた、透明な影のような人々を。
この世の水際で、<わたし>と言いうる力を滅ぼし続ける人々を。