さかさまのパテマ 「空に落ちることが 罪なんですか?」
「さかさまのパテマ」
吉浦康裕監督 2013年公開
あらすじは・・・
“空”を忌み嫌い、空を見上げてはいけない人々の世界アイガ、昔ここで重力からエネルギーを取り出す実験が行われ災害がおきました。被害にあった人やモノは重力の向きが反転し、空に宇宙に向けて「落ちて」いってしまったという言い伝えが残っています。
アイガの世界では空に落ちて行った人々は罪深い者たちなのです。
エイジは“邪悪な空”の美しさに惹かれる少年。エイジの父は自分で設計した飛行船に乗るという不吉な行為をし、落ちて亡くなっていており、アイガの統治者から危険分子としてマークされています。
そのエイジの前にサカサマの少女パテマが現れるという物語です。
空を「美しい」と言ってくれるはじめての人ーパテマに出逢ったエイジは、パテマを必ず故郷に帰すと約束します。
重力が逆に働く少女の手を離すと空に落ちてしまうので、エイジは何もないところでは常にパテマと手を繋がなければなりません。
手を繋ぐとお互いの重力が相殺され、身が軽くなるという浮遊感が気持ちいいです。
しかし「空に落ちる恐怖」も、パテマ視点になるとよく分かります。踏みしめる大地がないことがこんなにも恐ろしいものなのかと思います。
途中何度か映像の上下が入れ替わり、 重力が逆さまになっている状態が理屈ではなく、感覚でイメージ出来ます。
最後に驚きの真実が待っていますが、今回はネタばれしません。
ちょっと難しくて、図に描いてやっと理解しました。
以前に「リンゴが空へと落下する」という記事を書きましたが、相反する力が働いているというイメージを体験するにはもってこいの映画だと思います。
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「星の王子様」の作者サン=テグジュペリは「人間の土地」(掘口大學 訳)で、空へ落ちる感覚と重力について書いています。
彼が飛行機で砂漠に不時着し、夜を過ごした時の文章です。
眠りからさめたとき、ぼくはあの夜空の水盤以外の何も見えなかった。
自分の目の前のこの深さが何であるかまだ気づかないうちに、ぼくは眩暈にとらわれた。
この深さと僕とのあいだに、身をささえる木の根もなければ、屋根一つ、木の枝一本ありはしないので、いつしか拠りどころを失って、ぼくはダイビングする人のように墜落に身をまかせていた。
とはいえ、ぼくは落下しなかった。頭に先から足の先まで、ぼくは自分が地球に縛りつけられていると気づいた。
ぼくは自分重量を地球にまかせている事実に一種の慰安を感じた。
引力がぼくには恋愛ほど力強いものに感じられた。
そしてぼくは、自分の体の下に、自分の乗船地球の、円みのある甲板のあることを感知した。
彼は飛行家でもあり、地球というものを空から見つめることが自然な思考となっていて、重力を感じる体験も多かったと思います。
サン=テグジュペリは、重力は”解放する力”だといいます。
重力がなかったとしたら、石を解放したとしても意味はない。解放されても、石はどこをもめざさないからだ。重力の見えざる道が石を解放するのだ。愛の見えざる傾きが人間を解放するのだ。
「戦う操縦士」
どこをも目指すことができない石を「解放する力」が重力であると感じ、「愛の見えざる傾き」と表現した彼はすごいと思います。
大地に向かう見えざる道があるならば、空へ向う見えざる道があるかも知れない。
それもまた「人間を解放する力、愛の見えざる傾き」であるなら・・・
二つの力が手を取り合い、重なり合う時何が起きるのだろう・・・そんなことを考えています。
「絶対に彼を離すな」 「は・な・さ・ね・え!」
次回に続きます。
主題歌はエスペラント語で、美しい歌です。
“インヴェルセ スィン エテンダス(逆さまに広がる)”
ふたつの世界
“インヴェルセ コルソ ノーラス(逆さまに響く)”
ふたつの鼓動
手のひらに 重ね合わせてゆく
切り取られた 空と地上を
手の中で 握りしめてゆく・・・
『サカサマのパテマ』 主題歌「Patema Inverse」 - YouTube