「ルチアさん」ーどこか遠くのきらきらしたところー
作 高楼 方子 絵 出久根 育
「たそがれ屋敷」と呼ばれる家に、美しいお母様とスゥと、ルゥルゥという二人の少女が暮らしていました。
ある日、この屋敷に、新しいお手伝いさん、ルチアさんがやってきます。ルチアさんは、二人にとって不思議な人でした。なぜか、二人の目にはルチアさんが、水色に光って見えるのです。まるで、船乗りのお父様が、異国から持ち帰った水色の玉のように・・・
ルチアさんは、一見、どうってことのない、太った普通のおばさんです。でも、ハミングしているような、眺めているだけで気分がすっとするような身のこなしで働きます。そしてなぜかみんなルチアさんの前では、自分の心にしまった何かしら輝くような思いを、表に出したくなるのです。
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お話の中には対照的なことが織りこまれています。
ルチアさんは誰もが気の毒に思うような体験をしますが、誰も経験したこともないような素敵なことにも出会います。どちらのことにもルチアさんは淡々としています。
お屋敷のお父様は「どこか遠くのきらきらしたところ」を求めて人生を旅に捧げますが、お母様は幼いころのきらきらした思い出を胸にお屋敷でお父様を待ちながら暮らします。
ボビーのついた小さなウソは、ルチアさんが水色に光る謎を解く真実になります。
大人になって、妹のルゥルゥは”水色の玉”を探しに「どこか」に旅に出ますが、姉のスゥは家庭と仕事を持って「ここ」にとどまります。
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40年ぶりにスゥは、ルチアさんの娘のボビーの手紙で、ルチアさんが飲んでいた、水色の実を漬けた透き通って輝く水の秘密を知ります。
「・・・(飲んでいた輝く水のことを)母はこう言ったのでした。
『あれはね、ここじゃない、どこか遠くの味がするの。ごくごく飲むと、まるで、どこか遠くのきらきらしたところが、そのままおなかに入ってくるようなの』
母の心を満たしていたものは、『どこか遠くのきらきらしたところ』だったに違いありません。そのような場所がからだの中に溶け込んでいたからこそ、常に、静かな喜びとともにいられたのだ、そう思うのです。
母は、行ったことも見たこともない『どこか』を、内に抱えていたのです。それは、『ここ』にいながら、同時に『どこか』にもいる、ということにほかならないでしょう。
そういう人であってみれば、『どこか』に恋い焦がれる必要など、あるはずがないのです。」
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また、スゥは40年ぶりに、船乗りのお父様が異国から持ち帰った水色の玉を手にし、ルゥルゥがどこへ行こうとして旅立ったのかをやっと知ります。
そして、力も地位も豊かな暮らしも自分の力ですべてを手に入れた「ここ」に暮らしながら、でも時折、ひどく味気ない心を抱えたまま、日々をやり過ごしている自分に気づきます。
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・・・そうよ、わたしたち、思っていたのよ。どこか遠いところに、
これとそっくりの、きらきら輝く、水色の国がきっとあるって。
いつかそこに行ってみたいって。わたし、本当はそれを思ってたのよ。
もしも「ここ」にいながら、「どこか」にもいられるとしたら・・・?
「どこか遠くのきらきらしたところ」が、「ここ」にいるからだの中に溶け込んでし まうとしたら・・・?
ああだから、ルチアさんは、きらきら光っていたのね、この宝石みたいに・・・
ときめくような不思議な喜びが込み上げて、スゥの胸はあふれそうになりました。
「ルゥルゥ、あんた、まだ旅をしているの?もしも水色の実がなる木を見つけたら、お願いだから、実をいっぱい採って戻ってきて。わたし、ちゃんと待ってる・・・」
私も「ここ」ではない「どこか」にきらきらしたところがあるような気がして、ずっと旅してきたように思います。
「どこか」と「ここ」は別の場所ではなく、一つなのかもしれない・・・
「きらきらしたどこか」は「今いるここ」なのかもしれない・・・
ルチアさんが飲んでいた水色に透き通って輝く水は、私にとって素敵な物語や詩、歌や絵だったり、空や星、花や木、誰かの微笑みだったりするのだろうと思います。