いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

須賀敦子という海で

 

「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。」

                           ユルスナールの靴」プロローグ

 

この言葉がテレビから流れてきた時、私は体に一筋の光がとおったような気がした。

こんな文章に出会いたかった、ずっと待っていた言葉だった。

確か7,8年ほど前のBS朝日の「須賀敦子 静かなる魂の旅」という番組。

 

須賀敦子(1929ー1998)

随筆家イタリア文学者。 

 

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友部正人の詩に「栞」というのがある。

 

すべてのページに栞をはさみ

残しておきたいような本だった

栞なんかはさまなくても

どのページも もう栞だった

 

私にとって須賀さんの本はどれも、まさにそういう本だ。

ひとつひとつの言葉がとにかく端正。

その端正な言葉で、溢れる優しさ、お茶目さ、胸が苦しくなるほどの悲しみ、驚くほど厳しい怒りを綴る。

身が洗われるような端正な文章がこだまのように響く道を読み進むと、その道は自然に幾重にも重なっていく。

途中、意外な道と出会うが、それはきちんとあるべき出逢いの道になっていることがわかる。

そして私は最後に、歩いてきた文章の道が織りなす完璧な全容を見ることになり、ため息をつく。幾重にも重なった迷いのない文は、まるで全てがあるべきように設計された美しい建築物を眺めるようでもある。

とても知的な方には間違いない。

 

でも私が惹かれるのは、知的で礼節を持った言葉から伝わる鋭い感性なのだ。

 

 

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高校二年の三月、家の窓から外を眺めふと「春だな」と感じた時のことのエッセイ。

 

「皮膚が受け止めたミモザの匂いや空気の暖かさから、自分は春という言葉を探りあてた。

こういうことは、これまでになかった。もしかしたら、こんなふうにして大人になっていくのかもしれない。・・・

 

だが、その直後に頭をよぎったもう一つの考えは、もっと衝撃的だった。

それは、『きっと、この夜のことをいつまでも思い出すだろう』というもので、まったく予期しないまま、いきなり私のなかに一連の言葉として生まれ、洋間の暗い空気のなかを生命のあるもののように駆け抜けた。・・(略)

 

たえず泡だつように騒々しい日常の自分からすこし離れたところにいるという意識につながって、そのことが私をこのうえなく幸福にした。

たしかに自分はふたりいる。そう思った。

 

須賀さんは兵庫県芦屋の裕福な家庭に生まれ、カトリック系の学校に通い入信する。

フランスの神学にあこがれパリへ渡った後、イタリアに惹かれてミラノで暮らし、イタリア人のペッピーノと結婚するがわずか6年で夫が急逝。

帰国後大学で教鞭をとりながら随筆を書き、「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞講談社エッセイ賞を受賞。61歳のデビューだった。

 

須賀さんは結婚する前に、修道院にはいることを真剣に考えた。

サンダミアーノの教会まで行き修道院に入ることを逡巡するが、自分の道は違うのではないかと思いいたる。

 

あんな純粋な生活を送ってみたいって思わない?・・・

でも私の生きるべき世界は彼女たちのとは少し違うように思えるのよ。

                                書簡 1960年3月8日

 

修道院には入らなかったが、彼女は自分の生きるべき道をいつも心に正していた。

サン・テグジュペリの文を引用したエッセイ

 

[建築成った伽藍内の堂守や、貸し椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝者なのである。勝利は愛情の結実だ。 

                            「戦う操縦士」 サンテグジュペリ  堀口大学 訳

 

「自分が、いまも大聖堂を建てつづけているか、それとも中にちゃっかり

座りこんでいるか、いや、もっとひどいかも知れない。

座ることに気をとられるあまり、席が空かないかときょろきょろしているのではないか。

 

自分がこう思って歩きはじめた道が、ふいに壁につきあたって

先が見えなくなるたびに、私はサンテグジュペリを思い出し、これを羅針盤のようにして、自分がいま立っている地点を確かめた。」

 

                          「遠い朝の本たち」  <星と地球のあいだで>

 

 

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師であり同士であり、また最愛の夫であったペッピーノが突然病死し、須賀さんは深い悲しみに落ちる。彼女の控えめな文からでもその哀しみは、これからどう生きて良いのかも考えられないほどだったのかがわかる。

そんな彼女を慮った友人の誘いで訪れたベネチアの小さな島。トルッチェロ島。

その島にある古い教会を彼女は一人で訪れる。

サンタ・マリア・アッスンタ聖堂だ。

 

しばらくじっとしていると目が暗闇に慣れて、ほのぐらい祭壇のうしろの丸天井のモザイクがうっすらと金色に燦めきはじめた。

 

天使も聖人像もない背景は、ただ、くすんだ金色が夕焼けの海のように広がっているだけだった。

それが私には天上の色に思えた。

 

金で埋められた空間の中央と思われるあたりに、しぶい青の衣をまとった長身の聖母が、イコンの表情の幼な子を抱いて立っている。

聖母も、イコン独特のきびしい表情につくられていた。

 

その瞬間。それまでに自分が美しいとした多くの聖母像が、しずかな行列をつくって、すっと消えていって、あとに、この金色にかこまれた聖母がひとり、残った。

 

これだけでいい。そう思うと、ねむくなるほどの安心感が私を包んだ。

 

                      「地図のない道」<その三 島>

 

 

 
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂
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聖母の印象があまりに強く、聖堂内に長くとどまっていられなくなった須賀さんは思わず外に出て、

「あっけらからんとした夏の午後。なにもかも、ふつうの夏の午後」

を確認した。

 

こうして聖堂を占める時間まで何度も聖堂を出入りする。

「窓や説教台、有名なモザイクを見て歩きながら、私は、ときどき、じっと見つめてはいけないもののように、祭壇のうしろの聖母に目をやった。」

 

 そして須賀さんは、ずっしりと重そうな鍵束をもった堂守の男が聖堂を閉めたとき、

 

「私はむしろホッとした。これでいい。そう思って、私は、船着き場につづく運河沿い道を歩き出した。」

 

こんな文を書く須賀敦子さんが好きで好きで、たまらない。

後からいろいろ読めば読むほど、私の好きなものが須賀さんのなかに全てあったことに気づく。

 

69歳という若さで亡くなってしまい、新しい本がでることはもうない。

でも残された須賀さんの書籍や書簡、日記はあまりにも深く、どこまでも読んでも何度読んでも行きつくところはない。

私は須賀さんという海のなかの小さな魚みたいだと思う。

幸せな魚だ。

「その胸中に建造すべき伽藍を抱いている」魚でありたい。

 

 

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須賀敦子 静かなる魂の旅 永久保存ボックス/DVD+愛蔵本 - YouTube