エミリ・ディキンソン 「私の詩が生きているかどうか教えていただけないでしょうか?」
Emily Dikinson (1830-1886)
アメリカの女性詩人。
終生独身で隠遁し、愛、宗教、自然を主題とする短詩を書いた。(広辞苑)
わたしは荒野を見たことがない
わたしは海を見たことがないさ
けれど知っている ヒースの色あいを
大波の激しさだってさ
わたしは神さまと話したことがないよ
天国をたずねたこともない
けれど場所なら よく知っているよ
まるで印をつけてあるみたい
(F800)
鐘が鳴りやむとき 礼拝が始まる
積極的な鐘がー
歯車がやむときーそれは周辺
究極の輪だ
(F633)
詩人たちはランプをともすだけ
みずからは 消えるが
炎の芯を燃やす
もしもいのちの光が
太陽のように輝くなら
いつの時代もレンズとなって
照らしだすだろう
周辺まで
(F930)
夏の空が見える
それが詩である 本なんかにないのである
まことの詩は逃げる
(F1491)
「わたしは誰でもない」エミリ・ディキンソン詩集 川名 澄 訳詩より
エミリは今ではアメリカで最大の女流詩人とされていますが、名士の家に生まれ広大な敷地の「お屋敷」からほとんど出ることもなく、生前は無名のまま独身で55年の生涯を送りました。
死後家族が彼女の引き出しから1,700編以上の詩の束を発見します。
エミリの詩は当時の詩風からすればずいぶん型破りでした。
最初の詩集がでた時も、彼女の独特な表記法に大幅な手が加わりました。
しかし現在では、彼女の言葉の呼吸をそのまま知りたいと、ファクシミリ版の出版が要求されるまでになったそうです。
エミリは文芸評論家のヒギンスンに手紙を書いています。
「お忙しいとは存じますが、私の詩が生きているかどうか教えていただけないでしょうか?
心はほとんど核心に触れているのですが、そのためにはっきりとわからないのです。」
自己紹介や、出版の可能性の有無などには触れず、自分の詩が客観的に見て、生きているかだけを必死に訊ねるエミリ・・・
ヒギンスンは初めてエミリと会った時のことを
「私の神経をこれほど消耗させる人と一緒にいたことがない。彼女に触れないのに、彼女は私から吸い取っていった。」
と妻に書いています。
広大な敷地だったとはいえほとんど家を出ず、友人とは文通のみで訪ねてきても会わなかったという徹底ぶり。
「友達は?」と聞かれて、飼っていた「犬」と「夕焼け」と「丘」と答えたという。
一方子ども好きで、お屋敷の窓から手作りのクッキーをひもでつないだかごに入れて届けたというエミリ。
エミリは詩について次のように言っています。
もし私が、本を読んで、身体全体が冷たくなって、どんな火でも暖められないと、あぁ詩だと分かります。
まるで私の身体から、頭の先がぶっちぎられたように感じたら、あぁ詩だと思うのです。
これが、私の、詩を知る方法です。他に方法があるのでしょうか。
写真も一枚しか残っていません。(彼女自身は写真はないと言っています)
私はミソサザイのように小さく、髪は栗のいがのように堅く、目はお客様が飲み残していったグラスの中のシェリー酒のような色ですーこれでお分かりでしょうか?
こんなエミリが私はとても気になります。
「好きだ」と言ってしまえばいいのだけれど、「気になる」という距離を大事に保たないとエミリが隠れてしまいそうなので・・・
私が「詩人」だと知る方法は、そっと距離を置くことでつながれると思える人かどうかです。
そういう人は、たとえ詩を書かなくても私にとっては「詩人」です。
エミリについてのエピソードは「エミリの窓から」 (エミリ・ディキンソン詩集)武田雅子・編訳 解説を参考にしました。