いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

「海と山のピアノ」世界をつなぐものたち

命を育み、

あるいは奪う、

水の静けさ、こわさ、

あたたかさ。

響きあう九つの

短編小説。

 

 

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九つの物語は、水をモチーフにそれぞれがつながり合いながら、

山と海、現実とビジョン、目に見えるものと見えないもの、一瞬と永遠、あちらとこちらという相対するものをつないでいきます。

それらの物語は不思議で、優しく、哀しく、ときに怖く。

 

表題の「海と山のピアノ」はグランドピアノとともに海辺に流れついた少女「ちなさ」の物語。

 

「うみとやまは つながっている」

「みみをすませて みんなにそうつたえて」

 

言葉を発しないちなさは、海が燃え荒れ狂うことを予感し紙にこう書きます。

 

予感どおり、突如海が真っ赤に燃えて山のようになって押し寄せた時、初めてみんなはちなさの声を聞きます。

 

「にげて、ひのうみがよせてくる。にげて、たかいところへ」

ちなさの声は、こどもの昔、言葉を憶えるよりもっと前、全身むき出しでこの世に向かい合っていた幼子の時代から響くようで、光よりもそれは速かった。

 

荒れ狂う火の海に一人で向かい、ピアノで語りかけ、なだめ、和解しようとするちなさの姿は、オームの怒りに向かうナウシカを思わせます。

 

 

 

この短編集の中で私が好きなのは、四国を舞台にした「ふるさと」です。

 

2年に1度、村ぐるみで「村うつり」しながら生きていく人たちの物語です。

 

 

彼らの新しい村の場所は、鳥の声を聞き分けられるこども「おとりさん」に鳥たちが教えます。

 

主人公が初めて鳥の歌が聞こえ、「おとりさん」となった時の描写。

 

十才の秋、急に耳の奥に風穴があいた。

それまでは気にしたこともない木の葉、当たり前と思っていた水の流れ、まわりをとりまくすべてが

色を持ち、光を出し、そして声を放っていた。

わたしはかたばみの声をきいた。空の青の声をきいた。

わたしは明けの明星の声をきいた。

声を出していないものなど、この世には一つもなかった。

 

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住所を持たずに村をつくりながら移動する彼らは、そうすることで人間が自然と暮らすためのバランスをとっているように思えます。

 

「住所を持たない彼らを鷹揚に受け入れているのは四国という土地だから」

私には彼らが、四国を巡るお遍路さんのように感じました。

 

 自然と共に生きなければならない私たちのために、もう一つの世界でバランスを取り、和解するために鳥に教えてもらいながら「村うつり」をしてくれているのではないかと。

 

「おとりさん」であることから逃げて都会でOLをしていた主人公は、かつて暮らした村を訪れて再び「声」をきこうと、耳を澄まします。

耳だけではありません、はだしになって足の裏を澄まします。足の裏は動物たちにとっての耳でもあるのです。

そうして姿が見えない家族や村人たちがどこに移ったかを知り、今回も無事に「村うつり」が行われたことを確認します。

それは都会で暮らすようになった主人公が、海も陸も空も人も動物も全てがつながっているということの確認でもありました。

 

 

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 私たちは世界を人間を中心としてみることに、慣れすぎてしまっているように思います。

私たちは全体の関わりの中で、絶えず変化しながら生きている自然の一部なのだと、気づかなければいけないのではないかと。

 

 

今見える世界と別の世界が重なり合い、つながっている結び目に、私がいるのではないか、私の中にもいろいろな命が重なっているのではないか、そんなふうに考えさせられました。

 

 

ちょうどの本を読んでいた時にブログのお友達の思遠さんがこんな記事をUPしてくださいました。

 

moshiryu33.hatenablog.com

まさに向こうの世界の声を聴く方がいたのです!

嬉しくて「記事にしますね」とコメントしたのですが・・・

 

 

想いを言葉にすることが難しくて、思遠さんに謝って、なかったことにしようかと思っていましたところ・・・

本日こちらもUPされました。

moshiryu33.hatenablog.com

 

これはもう、うまく伝えられるかなんて心配せず、本と思遠さんの記事だけでも伝えなければと思いました。

 (結局長くなってしまいましたが・・・)

 

ブログをやっていると、なんてつながっているのかと驚きます。

 

そもそも「海と山のピアノ」はかんのゆうこさまのブログで知りました。

 

kanno-yuko.hatenablog.jp

 

 

「おとりさん」はまさにhappy-ok3さんを思います。

happy-ok3さんはずっと、日本だけでなく広く震災の支援をされ続けています。


 

 

 

この短編集は東日本大震災をうけての、作者の鎮魂歌であることは間違いありません。

そして、ずっと昔からそしてこれからも、自然と共でなければ生きていけない私たちへの、祈りのようなメッセージだと思います。

 

私たちが別の世界と思っているところと本当は一つなのだと知ることは、今のこの現実を生きるうえで大事なこと、いえ、そう感じずに生きることはとても危険だと思うのです。

 

 

物語には相対する世界をつなぐ人や動物が出てきますが、別の世界につながるには礼儀のような心構えが必要なのかなと思いました。

 

それは、自分中心ではない心を澄まして聴くこと、ではないかと。

 

「聴く」というのは十四の心を耳にすることだと教えてもらいました。

十四の心を持つということは喜びだけではない、悲しみ、哀しみ、傷み、悼みを多く知る人ではないかと思います。

 

別の世界とまではいかずとも、家族や出会う方たちにそんなふうに心を澄ませることができたらと思います。

 

普段はあわただしく追われるような生活ですが、秋が深まる中、耳を澄まし、足を澄ましてみようと思います。

 

 

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