いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

ごめん寝 zzZZoO

我が家には4匹の猫たちがいます。

4匹ともひとりで泣いていたり、処分寸前だったところを家族がそれぞれ連れてきた子たちです。

白い2匹はきょうだい(♂♀)で満5歳。

茶トラはちーちゃんが3歳半。

一番新顔のジョビはたぶん2歳ぐらい。

 

今回は寝相を紹介します。写真の中でも一番多いパターンなので何度も出てくると思います。

 

 

ちーちゃんのごめん寝。(すまん寝とも言うそうです)

一番小さなときから来た子。引っ込み思案で甘えん坊。

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 f:id:ley-line:20170603234044j:plain小さかった!

 

 

どうなっちゃってるの?ジョビ。

この子は警戒心、遠慮が全くありません。どの猫にも構わず近寄って叱られますが、まったく懲りません。

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ふすまが好きなニック。

忠実に自分のパターンを守ります。どんなパターンかは今後紹介します。

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高いところが好きな、シャオお嬢様。

かなり高いところでも見事なジャンプでひらりと上がります。

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茶トラ男子組。ちーちゃん「ひとりでいたいのに・・・」ジョビ「いーれーて!」

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寝相にもそれぞれの性格がでているなァと思います。

昔一緒だった

 

昔住んでいた借家に野良猫が赤ちゃんを産み、母猫は行方不明。

仕方なく子猫とそのまま一緒に暮らすことになった。

名前は「ありんこ」と「しろ」(こどもがつけた名前なので見たまま)

 

その後私たちは主人の仕事の都合で引っ越すことになり、猫たちをどうしようかと困っていたら、猫と一緒にこの家に入ってくれるという人が現れた!都会を出て田舎暮らしをしようと家を探していた女の子。

 

 彼女はそれからずっとこの子たちを育ててくれ、今やまぎれもない老猫。「しろ」は最近天寿を全うし、「ありんこ」はリウマチの症状をかかえながらも穏やかに過ごしている。

家と猫を引き受けてくれた彼女とは、今インド舞踊を一緒に学んでいる。

ご縁というのは不思議なものだと思う。

 

写真は「しろ」が亡くなる年の夏に会いに行った時。

幸せなおじいちゃんとおばあちゃんの姿に、ちょっと涙が出た。

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 これからしばらく猫ブログにしようかと思います。

 よかったら我が家の4匹の猫たちの生活を覗いてみてください。

戦場はどこか遠い国ではなくて

 

 

戦場はどこか遠い国にあるのではなくて

いま、この場所。

 

戦争はどこかの国とどこかの国の争いではなくて

私とあなたのこと。

  

そして、

本当の戦場は

 私の胸の中。

   

何を

怖がっているんだろう

本当は

もっと簡単だったのに。

  

恐れという 武器を  置こう。 

いつも知らずに 手にしてしまうから

何度でも 置こう。

 

恐れの代わりに

手にしたいのは自由。  

 

何を怖がっているんだろう

恐れる必要はなかったはずなのに。 

 

きっと、

この戦場を

自由の地に変えられるはず。

  

 私たちは 

そのために出会ったのかも知れない。

  

戦場で

あなたの名前を呼ぶ

私たちは恐れては 愛にたどり着けない。

 

戦場で

あなたの 名前を呼ぶ。

 

 

 

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孤独と自由と美しさ

 

私の結婚の条件は「一人でいることを許してくれる」だ。

環境的に一人になる空間は必須条件で、精神的にも一人になることを認めて欲しい。

 

  

なぜこんなことを書きだしたかというと、以前にも書いた光野桃さんの「自由を着る」というエッセイの「孤独なとき、あなたは美しい」という文章にとても考えさせられたからだ。

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光野さんは孤独について、自分が求めようが拒もうが「孤独こそが人間の常態」だという。

さらに「孤独の意識は自分が人間だと自覚したときからはじまるのであって、自分が女だ男だという状態からは絶対に出てこないものなのだ」

「孤独とは独立した個人(人格)として広い世界に放たれた感じ」

という長沢節の言葉を引用している。(『孤独は愛と仕事を生む』長沢節

 

一人でいることが孤独ではない。人間としての自覚が孤独である。

そうした孤独は寂しいとか、恐ろしいというのでもない。

本には「本当の孤独を知ったとき、優しさが私のなかで息を吹き返した」とある。

 

一人で生まれ一人で死んでいく、生きているうちにも誰のせいにもできないことがやってくる。人間としての限界を受け入れ、自分の弱さや脆さを受け入れて生きる覚悟を持った時、本当の孤独を知るという。

自分の本質を知ることで他者の本質に潜む弱さや脆さに触れることができる。そうやって初めて自分をとりまく世界とも本当に出会えるのだろう。

その出会いは優しく、豊かで、生き生きと、自由に違いない。

そんな「自由」を着て生きる人は美しいに違いない。

 

 「孤独を引き受けてひとり立ったとき、美しいのだ。」

 

さて、私の「一人でいたい」はそれほどの覚悟があるのかというと自信がないが、周りのことに右往左往してしまってすっかり元気がなくなってしまう時、一人で自分の波長を感じていると元気になる。元気になると優しくなれる。今はこれでいいのかな。

 

猫鉢。彼も一人を大事にしている。

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青春はアツい。

息子が入っている学校の寮祭に行ってきました。

 

今日は真夏日で、火を使っている学生たちは大変そうでした。

男子学生が多いせいか屋台のメニューががっつり系が多かったです。

甘いクレープを求めていた主人。やっと見つけたら「ツナマヨクレープ」(;´・ω・)

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 なんか、懐かしい・・・

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焼きそばを詰めている、黒っぽいTシャツが息子です。

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寮祭あるあるの女装。昨年は息子も(-_-;)

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強い日差し以上に熱い青春。母は木陰で焼きそばをいただきます。

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www.youtube.com

「自由を着る」自分が清まる買い物

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ファッションジャーナリストでエッセイストでもある、光野桃さんが愛してやまない自分の定番の服、バッグ、靴、アクセサリーを紹介している本。

 

タイトルに惹かれ「大人テイストの自由なファッションの指南書?」のつもりで読んでみたのだけれど、これが奥が深かった。

42点のワードローブは光野さんが愛したこれまでの人生、生き方そのものだ。

 カバーの服は光野さんが自分の還暦のために用意した「ちゃんちゃんこ」!

 

目次を見ると、

「痛みを知ったパール」

「ショールという庭」

「刺繍と子宮」

「孤独なとき、あなたは美しい」

「ピンクを自分に許す」などなど・・言葉のセンスも素晴らしい。

 

ちょっと本文を引用。

 

パールは母貝の体内に異物が入ることによってできる、いわば痛みの産物であり、だからこそ悲しいほど美しいのだ、と教えられた。

つけるたび彼女が遺した、悲しみを通して浄められる、という言葉を思い出す。

                            「痛みを知ったパール」

 

また、「籠を育てる」では、 

籠作りは山にあけびの蔓を採りに行くことから始まり、山に入るときは山の神様に声をかけて取らしてもらうという籠作家の言葉に胸が震える、とある。

光野さんは、そんなふうに作られた籠を

「都会に住む者が浮ついた気持ちで買っていいとも思えない」「自分はその籠の持ち主にふさわしいかどうか」と考える。

そして『物を買って自分が清まらなければ物を持つ資格がない』という柳宗悦の言葉を引用しながら、物の魂と交わり、火花が散るようでなければ買ってはいけない、とまで書いてある。

 

私はちょうど連休に義母の荷物の片づけをしたこともあって、「物を持つ」ということについて考えていた時だったので、この言葉には考えさせられた。

 

身の周りを見渡せば気軽な買い物ばかりの我が家。せいぜいがお気に入り程度。

物と自分の魂が出会い、火花を散らすような買い物をしたことがないのは、物の魂に出会うべく私の魂がぼんやりしてしまっているからではないか。

  

お気に入りの物に出会い、手にすることもそれは楽しいことで素敵なことだと思う。

 でもそろそろ魂の火花を散らすような物と出会いたい。

柳宗悦の言う、持つことで「自分が清まるような」出会い・・・光野さんはそれを「恋に落ちる」と表現しているが、ああ、そんな恋に落ちてみたい!(=゚ω゚)ノ

 

この本を読んでいたら自分が出会えたわけでもないのに、涙の雫のような真珠が欲しくなり、持つほどに艶良く手に馴染むという和籠が欲しくなってしまった、なんと安易な私。

いつか、私の魂の準備が整ったら火花を散らすような物と出会えるだろうか。

その前に、せめて不要なものを整理しなければ・・・

  

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この本のタイトルにある「自由」についても考えさせられるものがあったので、次回に続きます。

はてなIDは語る?

 

みなさんの記事を読ませていただきながら、ふと、普段何気なく見ているみなさんのIDとニックネームが気になりだしました。

 

実際の日常での名前とは別に考えたもう一つの名前。

アイコンと合わせるとさらにみなさんのイメージが広がります。

 

「ああ、ピッタリ!」「なるほど、上手い!」と思うものや「これはどういう意味?」「この数字の意味は?」と謎解きのような楽しさも。

自由な選択の中で選んだ名前は、ブロガーさんのもう一つの記事(メッセージ)ように思えました。もしかしたら記事以上?

 

何気なくつけたようで、ブログに込められた思いが伝わります。

 

ちなみに私のley-lineは「古代の遺跡は地図上で直線につながるように建造されている」という仮説からとりました。

古代のネットワークのつながりを表す「妖精の鎖(ley)の軌跡」という意味が気に入っています。

何気なく考えたIDで、記事を書くときには特に意識ていませんでしたが、気がつくと「目に見えるものと目に見えないものとのつながり」みたいなテーマが多かった気がします。

 

 

でも今感じることは、記事のことよりも、ブロ友さんたちとの出会いがまさに私のley-lineだということです。

果てしないネット世界での偶然のような出会いが、実はずっと昔からつながるように約束されていたような・・・

 

記事という合図で呼び合い、つながった出会いは、リアルな生活では出会うことができない関係性を感じます。(ある意味こっちの方がリアルかも)

 

自分を発信することを決めて最初に考えた言葉であるみなさんのID、ニックネームの意味や由来をぜひ聞いてみたいです。

 

 

 

記事の更新がままならず、移り行く季節の中で写真だけが置いてけぼりになりそうなのでとりあえず写真をUPします。

 

 

うちの庭の花たちです。

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こちらは息子が入っている寮の庭で。

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群馬の榛名山福寿草

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茨城で食べたおいしいランチ。これでなんと750円!(コーヒーをだいぶ飲んでしまった(^^;)

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体調を崩している方が多いような気がします。お大事にしてください。

そういう我が家も連休明けに主人が寝込み、今日は娘が熱で休んでいます。これから病院に連れて行きます(-_-;)