『このあとどうしちゃおう』ヨシタケシンスケ
ヨシタケシンスケさんの『このあとどうしちゃおう』
”ぼく”は おじいちゃんがしんだあとで
おじいちゃんがかいた「このあと どうしちゃおう」ノートを見つける。
そのノートには おじいちゃんの 絵と文字で
「じぶんが しょうらい しんだら どうなりたいか どうしてほしいか」が、かいてあった。
「うまれかわったらなりたいもの」「こんなかみさまにいてほしい」「てんごくってきっとこんなところ」「みんなにつくってほしいきねんひん」
”ぼく”はノートを見ていてなんだかワクワクしてくる。
「おじいちゃんは しぬのがたのしみだったんだろうか?」
でも、ちょっとまてよ。もしかしたらぎゃくだったのかもしれない。
・・・・・・・
”ぼく”は おじいちゃんがどんな思いだったのかを考える。
ヨシタケさんは27歳でお母さんを、33歳でお父さんをなくしているそうです。ご両親の死を経験したことと、震災がこのを絵本かくきっかけになったとインタビューにありました。
ヨシタケ シンスケ
1973年、神奈川県生まれ。絵本作家、イラストレーター。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチで人気を集める。絵本作家としてのデビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)と3作目『りゆうがあります』(PHP研究所)で、「MOE絵本屋さん大賞」初の2冠を獲得。『もう ぬげない』(ブロンズ新社)はツイッターなどのSNSで大きな反響を呼んだ。2児の父。
http://www.osoraku.com/
この絵本を読んで間もなく、8月に私の父が亡くなりました。
3年もの入院生活で次第に弱くなっていた父がいたから、思わずこの絵本を手にしたのかもしれません。
亡くなってから、父が使っていた手帳を3冊見つけました。
そこには私たち三人のこどもが家を出てからの、何度かの転居先の住所と電話番号、勤め先の電話番号、結婚式の日と招待客の名前、孫の名前と誕生日、車のナンバーまで書いてありました。
そしてカレンダーには自分の趣味の予定の間に、私の家に遊びに行ったこと、誕生日に私が送ったプレゼントのこと、私たち家族が来て帰った日が書いてありました。(家に帰ったのがあまりに少なくて、もっともっと帰ればよかった・・・)
そして、8年前の母が亡くなった日には病名と亡くなったとだけ書いてあり、その文字は震えてゆがんでいました。
本を読んで気に入った文章やテレビで聞いた言葉、俳句も記されていて、父がどんなことに心を惹かれていたのか、孤独や老いとどんな気持ちで向き合っていたのかを初めて知りました。
『このあとどうしちゃおう』の”ぼく”は
「ぼくだったら、どうしちゃおうかな」と考えてみます。おじいちゃんのノートのおかげで楽しく考えられるのですが、
しんでからのことを考えていると、生きているうちに やりたいことがいっぱい あることに気づきます。
もしかしたら、おじいちゃんも同じだったのかもしれない、本当はそのことを伝えるためのノートだったのかもしれないと思えました。
父の手帳は、正直まだ読むのがつらく、まだ全部を読んでいません。
でも、父が自分のためだけに書いたであろう手帳ですが、残してくれて本当に嬉しいです。
『このあとどうしちゃおう』では「みんなを見守っていく方法」というのがいくつも書いてあります。
その方法は・・・・これは泣けました。
このタイミングでこの本を手にすることができたことに感謝します。
休み明け、私にしては記事を一気に書いた感があります。
ここで少し休憩いたします・・・(この波の粗さに自分でもあきれています)