いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

走り水

 

自分ではとても受け止めきれそうもない悲しみに

そっと当てられる 無言の手

 

その手をとおして 自分の中を流れる悲しみを 逃がせることができたら

 

そして

そんな手を持つことができたら・・・ と願います。

 

 

 

千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」を書いた覚 和歌子さんの詩です。

 

 

走り水

                            覚 和歌子

 

 その小さな身体のどこに ためていたんだろうね

 あとから あとから あふれるような

 そんなにたくさんの涙を

 

 大切に可愛がっていたタンゴが

 車に轢かれた雨の夜

 そのむくろを小さな両手にかかえて

 おまえは 手放しで

 そんなにも泣く

 

 寂しさでこわれてしまうおまえでは きっとないよ

 いつか もっと年をとって

 その身体のサイズで 引き受けきれそうもない悲しみが

 やさしい言葉でも音楽でも癒されずに

 おまえの中で暴れるとき

 誰かの無言のてのひらが

 おまえの背中に そっと当てられるといいね

 

 さわらないでくれよ ほっといてくれよ と言いながらでもいいから

 おまえの中心を流れる河から

 走り水のように

 何かがその腕の方向へ逃げていくのにまかせなさい

 手のひらは耳になって じっとその水音だけを聞いてくれるだろう

 

 だまってその水音に 身をまかせるおまえを

 だれも甘ったれとは 呼ばないよ

 本当は甘ったれじゃないというひとを

 おとうさんは 知らないよ

 おまえのだけの悲しみを奪わないよ

 

 それを覚えておいてほしいから

 そのやわらかい皮膚の下で

 息をする細胞の一つ一つに

 刻みこんでほしいから

 

 いつか 大人になった

 おまえの手が

 誰かの走り水を

 そっと逃がせる手であってほしいから

 

 

 

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走り水とは

ヤマトタケル海を望まれて「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。

ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。

その時ヤマトタケルの妻であるオトタチバナヒメ弟橘媛)が、海の神の怒りを鎮めるために自らを犠牲にして海に入水した。

暴風はすぐに止み、船は無事岸につけられた。という古事記における故事による