「暗号のポラリス」
なんと、年末に図書館で借りた本をまだ読んでいませんでした。
休みの間に読む予定が、思いついて8巻シリーズのDVDを観たり、漫画を4冊電子書籍で読んだりしていたので、今になって借りた本を一気読みしています。
それぞれ単独で読みたいと思って選んだのに、読んでみるとリンクしていて笑ってしまいました。
ある本の主人公の名前が別の本で女神の名前として登場したり、ある本の一つの小さなエピソードが別の本では興味深い長い物語になっていたり・・・
ジャンルや国内外の作家問わずリンクしているのがおもしろいです。
しかも衝動的に観ていたDVDや漫画の話とも繋がっていました。
まぁ、同じ人間が選ぶのだから不思議なことではないのかも知れません。
読んでいると、それぞれが繋がって大きな物語に成長していくような感覚になります。
いろいろなものはきっと、今の私に引き寄せられてくるんだろうと思います。
そんな中で1冊を紹介。
「暗号のポラリス」 中山智幸
ディスレクシアとは、知的に問題はないものの読み書きの能力に著しい困難を持つ症状を言います。
充分な教育の機会があり、視覚・聴覚の器官の異常が無いにも関わらず症状が現れた場合に称します。ディスレクシアの人の見え方はさまざまです。本人たちに言わせると文字が躍る、動く、かすれるなどと表現します。
- 一例として下図のように感じられます。
通常の見え方
ディスレクシアの感じ方
- 文字が上空から見た摩天楼のように目に刺さってくる。近づいた文字が遠くの文字を隠し、行も違う行に移行してしまう。色のシートを使うことで平屋になる、つまり落ち着くそうです。
- 文字が躍る、動く、ねじれることでどこにどの文字があるかわからない。書き写そうとすると、どの文字のどこを写していたかわからなくなってしまう。
文字以外にも音や光、空間感覚などにも特徴があり、主人公のユノは小学校生活に適応するのが難しくなってきます。
ユノが小5の時に両親は事故で亡くなってしまいますが、父と母の言葉を指標として年の離れた兄と生活していきます。
そして兄の恋人との関わりをきっかけに彼にとって大きな転機が訪れます。
発達障がいの問題を取り上げた話かと思いながら読んでいましたが、これは誰もが抱える問題なんだと思いました。
真理子(兄の恋人)はユノにとって言葉はどんなものなのかと想像するうちに、ふと思います。
言葉ほど人の心簡単に行き来するものはない。
そのくせ、誰の心にも同じようには届かない。
私たちは言葉でコミュニケーションをとっていますが、どれだけお互いを理解できているのでしょう。
そもそも他人を理解することが、どれだけできるのでしょうか。
ユノは父が生前愛していた、大戦中に暗号を打電していたという無線塔にひとりで登ります。
父と母の言葉を胸に、まるで何かを賭けるかのように、自分との戦いのように・・・
「まずは見晴らしのいいところに立つんだ。未来まで見渡せそうな、胸のすく場所へ行け。
そこで自分の北極星を決めるんだ」(父)
「近くばかり気にするから怖くなるの。遠くを見なさい」(母)
ユノは塔の頂上で暗号を発見します。そして、その上に新たな暗号を自分で記します。
次は降りなければなりません。
塔は登るより降りる方が怖いのです。
降りる時、ユノはこう自問します。
「ほんとうは、だれにも、わかってほしくないんだろう?
わかられてたまるかって、思ってるんだろう?」
ユノは、今まで自分がずっとこの塔のように、容易には降りられない塔の狭い頂上に閉じこもっていたことに気づきます。
でもいつまでもそこで生きてはいけない。
いつか、降りていくしかないのだ。
いま、ぼくは初めて、降りていこうとしているんだ。
ユノは自分がこれから生きていくなかで、難読症という障がい以外にも多くの問題に出会うだろうと思います。
そしてそれらを怖がってばかりはいられないのだと・・・
障がいがあることは大きな困難が伴うと思いますが、障がいがあってもなくても人と人とが関わることには困難が伴うように思います。
言葉はコミュニケーションの方法ですが、言葉を使うための動機というか、関わりたいという想いがあってこその言葉なんだと思いました。
低いところでは見えなかったことが、高い塔に登ることで見えるものがあります。
そして見つけた後は、降りなければなりません。
自分の北極星を決めたら、恐れずに降りて地上を歩かなければなりません。
誰もが通れる道を、誰もやらない方法で、他の誰にも到達できないところへ向かって・・・
自分の道は自分しか歩めないのだから。
色がついた文は本文からの引用です。
[字幕:歌詞・和訳] Hero - Mariah Carey
コメント欄はそのままにしてますが、気にせずスルーしてください。
読んでもらえただけで嬉しいので・・・