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「ヨーコさんの言葉」  佐野洋子

 

「ヨーコさんの“言葉”」    講談社

 

『100万回生きたねこ』の著者、故佐野洋子さんの痛快メッセージ。

NHK Eテレ「ヨーコさんの“言葉”」の書籍化。

放送時間  毎週日曜  午前8:55~9:00

 

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佐野さんの本音トークは痛快で「うん、それなんだかわかる」と思わずニヤリとしてしまいますが、

あとから「そうくるのか」と思わせるものが・・・奥が深いです。

 ちょっと紹介します。

 

ー腹が立っている時は・・・ー

 

 腹が立っても「私は気分転換などしない」

「気分転換など自分でするものだと思っていない。あちらからやって来る。」

 

そう言いいながら、

 

「ほんのつまんないことが また向こうからやって来てくれて、

それと手をとり合って 元気よくやっていきたい。」

 

と言う。

 

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ー才能ってものねー

 

 子どものスイミングスクールの練習風景を見ていて思う。

 

何事も必ず抜きんでて才能のある人が一人か二人はいる。そして同じように特別に才能のない人も一人か二人はいる。

その特別と特別の間に凡庸という集団がゾロリといて、凡庸な努力をして人並みにしがみつき、凡庸の中で競争してその中の喜びと悲しみを生きていくのだと知る。

 

そこからが面白い。

佐野さんはこれまで何度も挑戦していた英会話を、「自分には才能がないのだ」とやめる決心をする。

そしてプールで必死の形相で泳ぐ男の子に心でメッセージを送る。

 

一つや二つ”特別に才能がなくても”、どうにか生きて行こうぜ。

三つや四つ凡庸ってものにありつけるわよ。

 

 

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 ー神様はえらいー

 

ミラノで何年もルームメイトをしている、やたらにまじめな友人といいかげんな友人の話。

 

部屋の半分はぐちゃぐちゃで、もう半分はいつも掃除がすんだばかりのよう。

片方がひっかけてきた男の後始末のデートを、何回もさせられているもう一人の友人に

「どうしてテルちゃん(いいかげんな方)と別々にならないの」と聞くと、

 

 「私だって、そうしたいわよ。だけどね。

あの人といないと、

生きているばかばかしいはずみってものがなくなっちゃって、寂しいのよ」

 

いいかげんなヤツばっかでも、くそまじめだけでも世界は完璧にならない。

                    

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  ーこんぐらがったまま、墓の中までー 

 

 10年ベルリンに住み、自分が孤独だった頃、孤独な老人たちを見る。

 

私の下宿の七十の婆さんは、夜になると古めかしいフロアスタンドの下で

すり切れたトランプで占いを 何時間もしていた。

 

七十にして まだ占う未来があるのだ。

 いかに長い歴史と習慣が 個に徹することをたたき込んでも 孤独は孤独である。

 

泣き泣き人の迷惑をひきうけ、泣き泣き人に迷惑をかける、

これは大変なことであり、精神力と体力と経済力のかぎりを要求されるが、

憎むべき相手を持たない ベルリンの老婆たちの孤独を思う時、

 

やぶれかぶれに、人間関係複雑で

糸目がどこにあるやらわからず、こんぐらがったまんま

墓の中までもつれ込みたい と思うのである。 

               

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ーハハハ、勝手じゃんー

 


ヨーコさんの“言葉” 第5話 - YouTube

(「ヨーコさんの“言葉”」の動画がはNHKウェブサイト「どーがステーション」で視聴できます。)   

http://www3.nhk.or.jp/d-station/program/yokowords/

 

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佐野さんは作家として、芸術家として当然個性を大事にしたはず、でもそれは孤独になることとは違うと言っている。

また自分は「一般大衆」ではあるが、そのなかであくまでも「個」でありたいとも言っている。自分の「個」を大事にすることは相手の「個」を尊重することだと思う。

ごまかさずに自分と向き合い、まわりと向き合う佐野さんの言葉は自由に動く。

きっぱりしたり、ずるずるといろいろなものを引きずったり、あっさりあきらめたり・・・

その自由さは、いつでも大事なことをつかもうとするゆえの自由さだと思う。

 

複雑になってしまったり、「こんぐらがってしまう」けれど、そもそも私たちは簡単に線引きできるものではく、「こんぐらがっている」。

 

「こんぐらがったまんま」はいいかげんのようだが、実は逆に簡単に線引きしてしまうよりとても強くあらねばならず、難しいことだと思う。

 

大好きな作家さん、もっともっと作品をかいてほしかった。

 

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今回からタイトルを変えました。とくに内容は今までと変わらないと思いますが、ブログを書く立ち位置がやっと自分で決まった感じです。

今後もよろしくお願いします。