<生きた言葉><届く言葉> 内田 樹 「街場の文体論 」
「街場の文体論 」 内田 樹
この本は<生きた言葉><届く言葉>について、内田 樹氏が神戸女学院大学教授としての最後の講義をまとめたものです。
大学名誉教授であり、日本の哲学研究者、思想家、倫理学者 、武道家、翻訳家・・・
難しかったですが、それこそ伝えるのがうまくて、あっという間に講義が終わったという感じでした。
<生きた言葉><届く言葉>に必要なことはまず、
<読み手に対する敬意>です。
「こういうことを書けば相手は喜ぶ」、学校なら「いい点が取れる」みたいな書き方は相手を見下すことだそうです。
敬意とは「お願いです。私のいうことをわかってください」という構えによるもので「お願いです。私を合格させてください」とは全く違うものです。
それから何よりも大事な <説明する力>
うまい説明とは、
「物事の本質を大づかみにとらえて、核心的なところをつかみだし、それを適切な言葉でピシリと言い当てることができる」ということ。
別の言い方にすると「焦点距離の調整が自在」。
はるか遠い視点から航空写真で見下ろすような仕方で対象を見たかと思うと、いきなり皮膚のデコボコを拡大鏡でのぞくように近づくような表現ができるということです。
どうしたら焦点距離を自在にすることができるのか・・・
赤ちゃんは自分の外部にあるものの真似をすることから始めます。
お母さんが笑うと赤ちゃんも笑い、表情筋の動かし方を真似て、笑うということを学びます。
表情を真似しながら相手の感情も感じるようになり、楽しい、悲しい、怒りという感情を獲得します。
こうして他者を感じることを繰り返し、多くの他者たちと共感することで共感域が広がり成熟していくと、実際には自分が見ていなくても見えたり、自分が聴いていない音を聴いたり、感じたりすることがイメージできるようになるそうです。
いわば巨大な「共-身体」の視座(空からの視点)から世界を見ることができるようになるのです。
これは上空から自分を含む風景を見る力で、昔から日本人は自分の「立場」「分際」「身の程」がわかるという空間感覚を持った言葉で表現しています。
全体が見え、その中の自分の位置がわかることは、全体のために自分が何をすべきかがわかることです。そういうことができる人がいると集団全体の力も高まります。
文章で言えば、どの言葉をどのように使えば全体が的確に伝わるかがわかるということです。
この力はぜひ習得したいものです。
私は「お願いです。私のいうことをわかってください」という気持ちだけはあるのですが、焦点距離の調整ができていないので、あちこち飛んで自分でも着地地点がわからなくなって袋小路に入り込んでしまいます。
鳥のこととといえばhappy-ok3さんです!
いつもインコちゃんのことを中心に鳥の能力の不思議について教えてもらっています。
ぜひ読んでください。
そして鳥の視野について、またその視点でサッカーの試合をした中村俊輔さんのことを書いたこうのすけさんの記事もぜひ読んでください。
次に「届く言葉」とは<宛先のあるメッセージ(メタ・メッセージ)>であることです。
「万人向けのメッセージは結局誰にも届かない」そうです。
<宛先のあるメッセージ>について内田氏は旧約聖書を引用して説明します。
アブラハムは、「あなたの息子をモリヤの山で全焼の供え物として捧げなさい」という神の声を聞きます。
アブラハムが100歳、妻のサラが90歳でやっと授かった息子を神に捧げるという、とても理解することなどできない言葉であるのに、アブラハムはこの言葉の宛先は他の誰でもなく、自分であると完全に確信を持って理解します。
アブラハムはずいぶん悩みながらも神の言葉に従います。
(しかし、モリヤの丘の上で、我が子イサクをまさに刺し殺そうとしたその時に、天使が来て「あなたの手を、その子に下ろしてはならない」と止めてくれます。安心してください。そして神がその信仰を義とされ大いなる国の父となることを約束したとおりになり、後に「神の友」と呼ばれ、後世においても「信仰の父」として尊敬されます)
このようにメタ・メッセージは解釈できるかどうかを退けて、いきなり届きます。
そして自分宛のメッセージだとわかってしまうと、たとえそれがどんなに意味不明でも、人は全身を耳にして傾聴しなければならなくなる、と言います。
他の人から空耳、空目と言われようが「自分だけにしかわからないメッセージ」は、真実になります。そのメッセージは「自分の存在を求められている」(あなたが必要だと言われている)ことを意味します。
内田氏は、母親が赤ちゃんに語りかける言葉や、ふれあいが究極のメタ・メッセージであると言います。
赤ちゃんは自分の鼓膜や皮膚に触れてくる空気の波動から、母親からの語りかけを聴きとります。その波動が何を意味するにかわからなくても、その波動と同時に快適な感覚を受けることを繰り返すうちにそれが「自分宛のメッセージ」だと気づきます。
そしてそれは「あなたがいて、私はうれしい」というメッセージなのです。
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私はブログを書きながらいつも「伝わるだろうか」と不安です。
読んだ本のこと、見た景色、出逢った人のこと、音楽、詩、絵画・・・
それらを通して自分が感じたことがちゃんと伝えられているだろうかと思います。
不安のまま「公開する」をエイッと押した後で「別の書き方の方が良かったのでは・・・」と後悔が始まります。
あたふたと書き直そうとしているうちに☆が届きます。「あれれ・・・困った」
でも、読んでくださる方々がとても受信力が高いので、私のつたない記事の書いた以上のことまで読み取ってくれます。
いただいたコメントを読んで「ああ、そういうことだったんだ」と改めて教えてもらいます。
このように大きな心と力で読んでくれる人がいることはとても嬉しいことです。
さらに、ブログの中でやり取りをしているうちに、○○さん、○○さん・・・とひとりひとりの顔が見えるようになってきました。(本当にお顔がわかった方ももちろんですが、私の中ではかなり明確にみなさんおひとりおひとりのイメージができています)
そしてみなさんの記事からもメッセージが届きます。みなさんの記事の中のコメントからもメッセージが届きます。
まっすぐに私に届きます。
それは「あなたがいて、私はうれしい」というメッセージだからだと気がつきました。
究極のメタ・メッセージだからまっすぐに届くのです。
こんなメッセージをもらえたら勇気100倍です。
つまり私はみなさんのメッセージにありがとうを言いたかったのでした。
最近なにげなく図書館で借りた本でしたが、今読みたかった本だったと心から思っています。
着地がまた唐突ですが、私からも
「あなたがいて、私はうれしいです!」
どうか届きますように!