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「そこに僕らは居合わせた  語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶」

「そこに僕らは居合わせた  語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶

グードルン・パウゼヴァング   高田ゆみ子訳   みすず書房

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ナチスの支配下、全体主義の狂気に「普通の」人びとがのみこまれてゆくさまを少年少女の目を通して描く。人間の弱さと強さをみつめ、未来へつなげるために。      (帯文より)

  

本書はナチス支配下の時を生きた10歳から17歳までの「普通の」ドイツ人少年少女の小さな物語が20編収められている。

ここには強制収容所のことやホロコーストのことは書かれてはいない。

戦争に否が応でもまきこまれていく、ごく普通の暮らしの中の出来事が描かれている。だからこそ私は自分のこととして、逃げることができずに読んだ。

 

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ユダヤ人家族が強制連行されることを聞きつけ、興奮して子どもを連れて見に行く母。

ユダヤ人の老人が恐怖のあまり暴れ、無理やりトラックの荷台に押し込められ、メガネがはずれて落ちる様子を見て、どっと笑う見物人。

ユダヤ人家族の飼い犬が、ご主人の落とした帽子を得意そうにくわえたのを見て、またどっと笑い。

「母も笑いました。弟たちも、そして私も笑いました。」

強制連行のトラックが去ったあと、見物人たちはユダヤ人家族の家財道具をこぞって運び出す。羽根布団、毛皮のコート、装飾つきの安楽椅子、シーツ、テーブルクロス・・・

少女がいつも遊びに行って良く知っていた食堂には、ちょうど食事の用意がされていた。きちんとたたまれたナプキン、お皿、スプーン、パン、スープ・・・

「みんな、テーブルについて!」という母の声。

「いただきましょう!」

母はスプーンを口に運び、うっとりと言います。

「ああ、まだ温かいわ」

 

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ユダヤ人がいかにひどい人間かを、こどもたちにおとぎ話にして教える教師。

こどもたちがその「おとぎ話」のイメージをぬぐい去るにはどれだけの年月がいるだろうか。

私がこどもの時に聞いた「お話」は今も体に沁みこんでいる。たとえ忘れていても・・・

 

敵というものに家族がいるとは思ってはいけない(殺せなくなるから)。

ユダヤ人は同情してはいけない、思いやりに値しない。

ユダヤ人に何をしても咎められない。

 

一人の独裁者が生まれるまでは、共に学び、遊び、こっそり二人だけの秘密をつくっていた友達が、突然ユダヤ人というだけでつきあってはいけない人となり、どこかに連れていかれる。

どんなに理不尽に思えてもどうすることもできず、しかし忘れることもできない。

作者自身、青少年組織の一員としてアドルフ・ヒトラーは天才で高潔なる人物であると信じ、総統のために命を捧げると誓い、ヒトラー死亡のニュースを聞いて涙を流したと「あとがき」に書いてある。

そして戦後、いかに自分たちの理想主義が利用され、騙されたかを知り傷ついたという。

作者は80歳を越えてなお執筆活動を続けているが、初期の作品では全くと言っていいほどこうしたことに触れられていない。その理由についてインタビューの中でこう語る。

「傷口がふさがるまでには時間がかかるものです。私の17歳までの人生をかたち作ったものと向き合えるようになるには、何十年という年月が必要だったということです」   (訳者本書あとがきより)

          

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絶対のお手本を持つことで自分を失くし、流れていく怖さがこの物語の中にはある。

 でも一人だけ、今でもお手本にできるという人の話がある。

 

その人は有名な人でも何でもない、無名でこれからもきっと無名のままの女の人。

戦争中、フランス人捕虜がドイツ人の農家に労働のために割り当てられていてた。

捕虜は監視役のドイツ兵に朝連れて来られ、日中労働してから夜にはまた収容所に連れ戻されていた。

ある夜ドイツ兵が迎えに来た時捕虜の食事がまだだったため、農家の奥さんは捕虜の食事が終わるまでドイツ兵を待たせた。

奥さんはドイツ兵もろくな食事をしていないのを知っていたので、「一緒にいかが?どうぞ食べていってくださいな」と誘うと、ドイツ兵も銃を置いて一緒に食べることにした。

奥さんは一つめのジャガイモをドイツ兵ではなく、フランス人捕虜の皿に置き、次にドイツ兵、そしてまたフランス人捕虜・・・と平等にお皿に乗せてあげ、二人はそれを肩を並べて平和に食べた。

「おいしくおあがりなさい」と奥さんが言うと、二人は「いただきます」と言い、顔を見合わせてにっこり笑った。

この情景を見ていた少女は驚きを感じたが、なぜ自分が驚いたのかその時はまだ言葉にできなかった。

ただ「この農家の台所では、ふだん学校や少女団で教わったのとは違うことが起きている」・・・とだけは感じた。

後になって少女は理解する。

奥さんは勝者のドイツ人や敗者のフランス人としてではなく、同じ人間として接していたのだ、と。

奥さんにとって二人はまず第一に人間であり、それ以外はさして重要ではなかったのだ。

ナチスが、ドイツ人であることは人間であること以上に大切だと説いていた時代に、当然のことのように敵国人同士を平等に扱ったふつうの農家の奥さんのことを、少女はおばあちゃんになるまでずっと手本とし、孫にも伝えたのだった。

  

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戦争は誰もが傷つく。誰もが犠牲者であると思う。

たとえ何も知らなかった、自分たちのところでは何も起こらなかったと口を閉ざしたとしても深い傷が癒えることはない。

では、別のところに加害者がいるのだろうか?誰か自分とは関係ない人がやってしまったものと言えるだろうか?

これらの物語の中では、私はどんな登場人物になるだろう。

いや、今、私はどうであるだろうか・・・

 

 戦争という時代「そこに居合わせた」普通の少年少女たちの目線からの物語。

それは今の私を「そこに居合わせる」物語だ。「そこ」とはこの本が描く戦時中であり、今この時のことでもある。

いつかこの時代に居合わせた者としての責任を問われるかもしれない。

 

「なにか取り返しがつかないことが起こってから、孫世代に『あの時、なにをしていたの?なぜなにも言わなかったの?』と言われたくない。その気持ちですよ」

「人生終盤は勇敢でなくちゃね」  (訳者本書あとがき「忘れないための物語」より作者の言葉)       

                         

 

                     f:id:ley-line:20150704222522j:plain  グードルン・パウゼヴァング

作者は核戦争後世界を描いた「最後の子どもたち」と、原発事故を題材にした「みえない雲」の作者でもあり、優れた児童文学作品に対して与えられる「ブクステフーデ牡牛賞やドイツ児童文学大賞などを受賞している。