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「めぐり合う時間たち The Hours」

 「めぐり合う時間たち The Hours」

 

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 ダロウェイ夫人』をモチーフに、作者であるヴァージニア・ウルフをはじめ、それにかかわる3人の女性を描くドラマ。

第75回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、特殊メイクを施しヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンアカデミー主演女優賞を受賞。第53回ベルリン国際映画祭ではジュリアン・ムーアメリル・ストリープを含む3人が銀熊賞を共同受賞した。

監督 スティーブン・ダルドリー
脚本 デヴィッド・ヘア
原作 マイケル・カニンガム

(wikipedia)

 

 あらすじ(ネタばれあり)

時間を越えた三つの物語が交差しめぐり合う。

1923年ロンドン郊外の静かな町リッチモンド

ヴァージニア・ウルフ(41歳)が神経症の療養生活を送りながら、「ダロウェイ夫人」を執筆している。

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1951年ロサンジェルス

ローラ・ブラウン(20代後半)が経済的にも恵まれ、優しい夫と息子(リチャード)と生活している。4か月後には2子が生まれる予定。

 

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2001年ニューヨーク

クラリッサ・ヴォーン(52歳)が編集者。同性のパートナーと暮らしながら、エイズを患う詩人(リチャード)の生活を編集者として、友人(昔の恋人)として支えている。

クラリッサには体外受精でもうけた一人娘がいる。

 

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ローラはヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を愛読しており、クラリッサは「ダロウェイ夫人」と同じ名前で、元恋人が「ミセス・ダロウェイ」の愛称で呼んでいる。

 

これ以上に三人に共通するのは、「本当の自分を生きていないのではないか」という不安だ。

 

ヴァージニア・ウルフ:神経症に苦しみながらも、自分のリアリティを作品の世界に表現しようとしている。現実の世界では静かな生活での療養を強いられ、自分の生活の決定権を持てない生活に耐えられないでいる。

 

ローラ:何不自由ない生活が自分にとっては偽物であると知っていて、その罪悪感を抱えながら自分は死んだ生活を送っていると感じている。

 

クラリッサ:かつて、恋人リチャードが結局自分ではなく同性のルイスを選んだという傷を持っている。

今は友人としてリチャードを支えているが、リチャードといるときが本当の自分でいられると感じ逆にクラリッサのほうが彼に依存していることを自分で知っている。

リチャードといない時の生活では仕事やパーティやパートナーとの同棲が「慰めにすぎない」と感じている。

 

三人とも「本当の自分」と一致した生活が送れず、苦しんでいる。

自分の今いる場所以外に「本当の自分のいる場所」があると感じながら生きることはそれぞれに「死」に対峙することになっていく。

 

ヴァージニア・ウルフ:夫に「私たちほど幸せな二人はいないでしょう」という手紙を残し入水自殺する。

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ローラ:ホテルで「ダロウェイ夫人」を読みながら薬を飲んで死のうとするが、直前で「できないわ!」と言ってやめる。しかし、おなかの子が生まれたら家を出る決心をしてその通りにする。

 

クラリッサ:リチャードに「もう君のために生きることはできない。死なせて欲しい」と言われ、クラリッサの目の前でリチャードは投身自殺する。

彼も「私たちほど幸せな二人はいない」という言葉を最後に残す。

 

「本当の自分を生きる」ためにヴァージニア・ウルフは自殺し、ローラは夫と子ども二人、安定した生活すべてを捨てる。

クラリッサはチャールズを亡くすことで依存せずに「本当の自分を生きる」ことに向き合うことになる。

 

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この映画は二度観たことになる。一度目は辛かった記憶がある。一人で観て良かったと思った。一人でなかったら観た後どんな話をしていいのか、とてもとりつくろえなかったと思う。(たとえとりつくろう必要がない人でも難しい)

 

今回ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を読んでから二回目を観た。

今更だが映画「めぐり合う時間たち The Hours」は「ダロウェイ夫人」をモチーフにしてはいるが、原作はマイケル・カニンガムの独立したひとつの作品だとわかった。

彼がヴァージニア・ウルフを読み、身体に落とし込んで出来上がった作品だ。

時間軸と空間の交差が、映画ならではの効果で見事にあらわされている。

画像も音楽も哀しいほど美しい・・・

 

今回は静かな気持ちで観ることができたが、最後の方で突然込み上げてきた。(やはり一人でよかった)

リチャードが死んで彼を捨てた母親、ローラがクラリッサを訪ね泊まることになった場面。

 

クラリッサの娘がローラのために自分のベッドを空けて、自分はソファに寝ると聞いたローラが「ごめんなさいね」と言うと、クラリッサの娘が黙ってローラを抱きしめる。

なんでもないような場面だが、どうしようもなく泣けてしまった。

 

クラリッサの娘は体外受精でできたチャールズとの子どもだったのではないかと思う。つまりローラとクラリッサの娘は祖母と孫になる。(これは勝手な私論)

 

昔、ローラは夫との生活は幸せだと周りには見せていたが、5歳の息子チャールズには母が幸せではないことがわかっていた。夫の誕生日にケーキを作らなくてはならない、それは愛している証拠だからと言った母に「どうして証拠が必要なの?」と問われて返事ができなくなる場面は哀しい。

 

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チャールズは母が自分を置いていなくなることを絶えず予感していて不安だったが、結局その通りになった。大人になって作家になった彼は自分の書いた小説で母を殺す。

その小説を母のローラも読んでいる。

 

ローラのクラリッサへの独白が胸を打つ。

「後悔してると言えるといいのに。・・・きっと簡単よ。

  ・・・でも何のため? 後悔してどうなるの?

 

 他に方法がなかった。

  ・・・一生重荷を背負うわ。誰も私を許してはくれない。

  ・・・・・・・・

 あの暮らしは死だった。私は生を選んだのよ。」

 

「めぐり合う時間たち The Hours」の作者マイケル・カニンガムは、(お互いはそうとは知らず)クラリッサの娘を介して、母が「ごめんなさい」と言い、息子が母を抱きしめる時をめぐり合わせたのだと思った。

チャールズはすでに母を許していたのだ。・・・と私は思いたい。

 

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ヴァージニア・ウルフは魂の遍在と不滅を啓示のように体験していた。

作家としてそれー実在ーを表現していくことが使命であったのだろうが、自身の精神のバランスを崩すほど過酷なことだったのだ。

映画の中で、ウルフの夫のチャールズ(一番の理解者だった)が作品の中でどうして誰かが死ななくてはいけないのかという問いかけに、ウルフは「命の価値を際立たせるため」と答えている。

       

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命の価値を際立たせるためには、誰かが死ななくてはならないのだろうか

     

真実の生を生きるためには何かを失わなくてはいけないのだろうか・・・

 

何かと何かを対比させてどちらかを選択、ここではないどこかに本当の自分の場所があるとういうのではない考えがあるのではないか。

 

ジョー・ブスケの次の言葉に何か答えを見つけられるのではないかと思った。

 

 「私に生を愛させるもの、それは死が達成できないものである。」

 

 「私の全存在を、別の人間の人格のうちに入り込ませたいと思う。

  私がその人間であることをさまたげずに。」

 

                  「傷と出来事」ジョー・ブスケ 谷口清彦・右崎有希訳

 

自分の全存在を生きることによって、真実の生と出会えるのではないか。もし失うというならば全存在で生きるためにもはや必要ではない何かを手放すことかも知れない。

それが真実を生きるために必要な死ということならば、受け入れられる。