篠田桃紅 「103歳 になってわかったこと」それは一種、熱望というような願いでもあり
「103歳になってわかったこと」 幻冬舎
篠田桃紅(しのだ・とうこう)1913年生まれ。
「墨象」といわれる墨を用いた抽象表現で、世界的に広く知られており、数えで103歳となった今も第一線で製作している。(映画監督の篠田正浩は従弟)
女性は親の決めたお見合い相手に嫁ぐものとされていた封建的な時代に、書を教えることで自立し、43歳で渡米、独身で前衛美術家として生きてきた篠田桃紅氏のエッセイです。
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治とリアルタイムで生き、會津八一、三好達治、北村透谷夫人、ライシャワー夫妻、ロックフェラー三世夫妻、ルクセンブルク大公妃・・・めまいがしそうな政治・経済・文化人とのエピソードがさりげなく、奥深い視点で描かれています。
しかし、何より篠田桃紅氏自身の生き方に惚れてしまいました。
「自らに由(よ)る”自由”ですから孤独で寂しいということはありません。むしろ気楽で平和です。」
「自由を求める私の心が、私の道をつくりました。」
「根は他者にあるのではなく、その人自身の一切だと思っています。」
色文字は「103歳になってわかったこと」より
若き日の桃紅氏。美しい・・・
この一冊ですっかりとりこになってしまい、続けて読みふけってしまいました。
桃紅氏は「手なずけられないものに惹かれる」といいます。
墨はいつも裏切ります。いつだって一緒にはならず、一歩も二歩も離れている。そういうものに惹かれます。
墨は時々私を越え、自分でもうっとりする線を授ける・・・
その線は私の中にある線である。
敏感すぎるくらい私の派生する気分をひろう。
墨は粒子が細かい。あまりに細かく軽いから磨って水にあたるとどういう動きになるか予想がつかない。
墨は火でつくられ、水で生きる。火であって水。両極を有する美。
「百歳の力」
老子によると墨の黒は、真っ黒の一歩手前でとどめた色で、「玄(くろ)」というそうです。そしてそれは宇宙の根源、実在、無為,というものだそうです。
とても手なずけられるようなものではありません。
筆も、筆匠が間違えて作ってしまったという、性無しで扱いにくい筆がお気に入り。
その性無し筆は、ちょっとした油断や、心のかげり、とらえようのない想いまでうつし、
「わたくしをわたくしから逃げかくれさせない手きびしさ」で追い込む。
「墨いろ」
宇宙の根源をあらわすあまりに繊細な墨と、自分を追い込む手なずけられない性無し筆という”神器”を持って、桃紅氏は何をとらえようとしているのでしょうか・・・
「兆し」 「兆し、というものを、いつも墨によって知らされる」
かたちになる前の息づかいというのか、みえないものが、かもされている筆の穂先の白い火花のようなものがある。
筆が紙に触れてしまえば自身も止めようもない力が動き出す、その一瞬前のこころのはたらき、自身を投入できるか、できないか、その時間と空間の切り結ぶ見えない火花。
「墨いろ」
自身の放下とでもいうようなことが、わたくしにおとずれた時であろうか。そして何かの手が、見えないものの手が添ってくれるのか。
そういう不思議をのぞかせてくれる。そういうものをわたくしは信じたいのである。
「墨いろ」
桃紅氏は、よけいなものをそぎ落としたところの自身の内にある「兆し」をとらえようとしている。
その「兆し」の火花から生まれた止めようもない力を、
「そのあと一歩に無限のはたらきを残し、一歩手前でやめる。」
その作品自体が今度は、見る者自身の内がわにあるものを生む「兆し」となるのだと思うのです。
「納得しようとするのは、あなたの思い上がりです」
・・・「はい。」
「玄(くろ)」と向き合い続ける桃紅氏は簡単な説明を許しません。
でも桃紅氏との出会いは私にとって間違いなく「兆し」になりました。
まだ、ふと心にかつてない
美しい線が走り抜けるように感じるときがあり、
それを可視のかたちにしたいと思い、
それは一種、熱望というような願いでもあり、
この老い、老いさらばえた私の心を駆り立てます。
「百歳の力」おわりに より
色文字は「百歳の力」「墨いろ」より
「あなたの絵を見ていると、僕の中で音(サウンド)が湧いてきます」
ジョン・ルイス(モダン・ジャズ・カルテット)
John Lewis - Django Live 2000 - YouTube
篠田桃紅氏の作品は、京都迎賓館、皇居御食堂、アメリカ議会図書館、壁画は駐米日本大使館や東京の増上寺大本堂にもあり、京都御所や大英博 物館も作品を収蔵しています。
隣の市の市役所の会議室に桃紅氏の壁画があり、見に行ってきました。(縦2.5m、横7.0m)50歳頃の作品。30年ほどカーテンの裏で眠っていたのが昨年確認され公開しています。