奥山民枝 「これは究極の恋愛物語だと思います。」
「山水戀圖」 奥山民枝 岩波書店
画家である奥山民枝さんがかつて展覧会の際に書いた”幻の小説”と言われ、私はこれは究極の恋愛物語だと思います。
主人公「俺」は『川』で、『山』に恋します。
俺たち、つまり北の山麓氷河を母にもつ河川系には、一族全ての支流は本流に合流しなければならないという、掟があった。
冒頭から一気に自然、人間というくくりを取っ払われます。
俺は恋に落ちます。その描写が美しい・・・
尾根を描く柔らかな曲線が、微光を放ったまま大気にとけていた。
山は、そこに在るというより、在るがごとくにぼんやりと輝き、浮かびあがって見えた。
天と地のあわいに香りたつ、幻の花のようだ。
痛みにちかい熱い早瀬が胸の中を走りぬけた。
(中略)
その夜、俺ははじめて、俺をとりまく世界に気づき、その世界の声音を聞いたように思った。
しかし、恋しい西の山はあまりに遠すぎて、周りは高地砂漠でうっかり近づけばたちまち干上がってしまいます。
川にとっては命取りになる、塩や硝石を含む塩原も彼女のあいだに横たわっています。
本流に合流しなければならないという、一族の掟も破ることにもなります。
でも恋に落ちた人ならわかるでしょう?俺は山に向かいます。
「まず、体力をつけるために、雨季を待つ」ところがいいです。
川の旅は過酷で、”傷だらけの川”となって後悔に似た思いに叫びだしたくなるような、気を抜けば『その場に崩れ散る』旅でした。でも・・・
彼女がいた。西の地平線に、流れの裡に、つねに彼女がいて、俺を見つめていた。
それだけだったが、それだけで充分だった。
とうとう命がけの愛にたどりつき、ひと夜の交わりの描写は官能的で、絶佳です。
しかし突然の彼女の拒絶にあい、俺はなすすべもなく、彼女に寄りそい、めぐり流れながら日に日に痩せていきます。
ここからの川の愛がすごいのです。
命の危険を冒しながら流れを拡げて、「彼女を感じ、読み取り」ます。
彼女は裡なる力の湧きでる一点にじっと意識を集中しています。
体の奥の溢れたぎる激しさと、息をつめひたすら何かを待つ静けさの微妙な均衡のなかで、身動きもでない緊張感にいます。
やがて均衡が破れ、彼女の裂け目に俺は吸い込まれ、彼女の苦痛のどす黒い汗が噴き出るのを見ます。
そして彼女を蝕むものの冥い影全てを、あるがままに受け入れる決心をします。
俺はこの窪地で、できうる限りの深い淵になろう。
その淵の底まで透きとおり、彼女の苦悩の全てを映しとり、俺たちの命の目盛りをせめてひとつに合わせておこう。
ひとつづきの体。
ひとつづきの命。
ひとつづきの魂。
全てをあずけて愛した彼女・・・
山はー
煉獄の苦しみのなかで、体を突きあげてくる巨大な力、新しい命の力に、自分の全てをあけ渡します。
どす黒く渦まく噴煙が、火を噴くつぶての雨を降らせながら湧きあがり、辺りは一瞬にして暗く翳り、閃光が走ります。
俺は体が蒸気となって気化する寸前、彼女の腹を裂き天へ突き抜ける鋭い峰を見、断末魔の獣じみた叫び声を聞きます。
あれは彼女の体からでたものだったのか、俺の声だったのか。
それとも、あの強猛な新しい命の咆哮だったろうかーーー。
詩人の谷川俊太郎氏は帯文で
「魂の秘境にせまる 壮大な絵本だ」と書いています。
この物語は私たちの恋愛を自然になぞったようなものではなく、地球の生命そのものの物語が、まちがいなくその一部である私たちの物語でもあるのだと思いしらしめます。
私たちは愛の物語のなかで生まれたものであり、また、愛の物語をつくるものでもあると語りかているように思います・・・
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奥山民枝さんが描く太陽の絵を見ていると、太陽が地の色に一瞬消えます。
ぼんやりと眺めてみるのがコツです。
・・・・消えました?