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いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

ティク・ナット・ハン 「私を本当の名前で呼んでください」

 

20年以上前でしょうか、友人の家の壁に留めてあった一篇の詩にくぎ付けになりました。

 

「私を本当の名前で呼んでください」

 

私が明日発つと言わないで

なぜって いま もうすでにここに着いているから

 

深く見つめてごらんなさい 私はいつもここにいる

春の小枝の芽になって

新しい巣でさえずりはじめた

まだ翼の生えそろわない小鳥

花のなかをうごめく青虫

そして石のなかに隠れた宝石となって

 

私はいまでもここにいる

笑ったり泣いたり

恐れたり喜んだりするために

私の心臓の鼓動は

生きてあるすべてのものの

生と死を刻んでいる

 

私は川面で変身するかげろう

そして春になると

かげろうを食べにくる小鳥

 

私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙

そしてしずかに忍び寄り 蛙をひと飲みする草蛇

 

私はウガンダの骨と皮になった子ども

私の脚は細い竹のよう

そして私は武器商人 ウガンダに死の武器を売りに行く

 

私は一二歳の少女

小さな舟の難民で

海賊に襲われて

海に身を投げた少女

そして私は海賊で

まだよく見ることも愛することも知らぬ者

 

私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者

そして私は彼の「血の負債」を払うべく

強制収容所でしずかに死んでいく者

 

私の喜びは春のよう

とても温かくて

生きとし生けるもののいのちを花ひらかせる

私の苦しみは涙の川のよう

溢れるように湧いては流れ

四つの海を満たしている

 

私を本当の名前で呼んでください

すべての叫びとすべての笑い声が

同時にこの耳にとどくように

喜びと悲しみが

ひとつのすがたでこの瞳に映るように

 

私を本当の名前で呼んでください

私が目覚め

こころの扉のその奥の

慈悲の扉がひらかれるように

 

     「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン 

      

 

    

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ベトナム出身の僧 ティク・ナット・ハンの詩です。

小さな難民ボートの少女がタイの海賊に強姦され、直後彼女が海に飛び込んで自殺したという手紙を受け取った後、深い瞑想ののちに書かれた詩です。

 

師はヴェトナム戦争のさなか、僧院の中での伝統的な修行から街に出て人々を助ける活動に従事することを決意し、行動しながら修行しました。

真の平和は慈悲の心を深めていくことが必要と説き、北の共産主義陣営とアメリカに後押しされた南の愛国主義陣営との激しい武力対立のなかで、北の味方でもなく南の味方でもなく、中立と非暴力の立場で貧しい人々や爆弾で焼け出された被災者を助けました。

しかしそ行動は両陣営から疑いをかけられることになり、事務所に手榴弾を投げ込まれたり、仲間が何人も虐殺される弾圧を受けました。

その状況下であっても「人が敵なのではない。誤ったものの見方や恐れや嫉妬が敵なのだ」という非対立の精神で、理解と愛の実践を深めながら献身的で壮絶な活動に従事しました。

1966年に戦争の原因の根が存在するアメリカ渡り、戦いは両国にとっての痛みで悲劇であり、どちらかの勝利や敗北で終結させることではなく、善悪、勝敗といった二元的な者の見方こそが戦争の根であると訴えた率直な平和提案は、アメリカの良識ある人々に深い感銘を与えました。

しかし、祖国サイゴンのラジオや新聞では激しく非難され、政府からも「反逆者」の烙印をおされ、この時から彼の帰国は不可能となり、フランスで亡命生活を送りながら「マインドフル・リトリート(気づきの瞑想)」や貧しい地域の支援など様々な活動を行っています。

    「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン 

 

 

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師の深い慈悲の心は、私たちは、お互い同士が切っても切れない関係で結ばれているという「相互共存(インタービーイング)」の気づきから生まれています。

 

もし、私たちが自分自身や自分をとりまく世界を全体的に深く見つめることができたら、いまの自分があるのは、自分以外の存在があるからだとわかるはずです。

あるひとつの存在の中には、そうではない存在すべてが重なって存在していることに気づくはずです。

だから私たちの身のまわりで起こることはすべて、私たちもその責任の一端を担っているのです。

      「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン 

   

師は<気づき>の瞑想の実践を勧めています。それはどこかの僧院こもってするだけものではなく、日々の生活の行いに意識的になることだといいます。

呼吸すること、歩くこと(師は大地にキスをするようにといいます)、微笑むこと、食事をすること、皿を洗うこと、運転をすること、電話をかけること・・・

普段当たり前にしている行いに、意識をむけ、感じ、見つめることで世界が変わるといいます。

    

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もしもあなたが詩人なら、この紙のうえに雲が浮かんでいるのが、はっきり見えることでしょう。

この一枚の紙のなかには、あらゆるものが入っているのです。ここにないものを一つでも捜すことはできません。時間、空間、地球、雨、土壌のなかの鉱物、太陽の光、雲、川、熱・・・すべてのものが、この一枚の紙のなかに共存しているのです。

一枚の紙がここにあるのは、ほかのあらゆるものがここにあるからなのです。

このように美しい物の見方を体で経験したら、もう外のものを追い求める必要はなくなります。

平和は、いま、ここ、ひと息ひと息のなかに、一歩一歩のあゆみのなかにあるのです。

    「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン

 

 

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 私たちは他人と自分を区別できるでしょうか。

この詩に「私を本当の名前で呼んでください」という題名をつけました。私にはたくさんの名前があるからです。

私は自分の持っているたくさんの名前のひとつで呼ばれたら、「はい」と答えざるをえません。

         「微笑みを生きる」<気づき>の瞑想と実践  ティク・ナット・ハン

 

私は自分の名前をいくつ持つことができるのだろうかと思います。

 

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