リンゴが空へと落下する? 1
春いっぱいの毎日ですが、すみません秋の日の出来事の話しです。
子どもが小学生の頃、学校から図工で使うため、木の実を持って来てください、と言われました。
その頃引っ越したばかりで、近くで木の実が落ちている場所がよくわからず、確か前に子どもと行った公園に、工作で使うにはもってこいの木の実がいっぱいあったことを思い出し出かけました。
ところが、そこは今住んでいるところよりもちょっと北だったので、公園は木の実の季節が終わっていました。木の実どころか、葉っぱもすっかり落ちて片付けられ、閑散としていました。
でも私は「この公園に必ずあるはず」としか思えずに、ぐるぐると公園を歩きました。
日も暮れて来て、さすがにあきらめようかと帰ろうしましたが、「もう一度あの場所、子どもと木の実を拾ったあの場所・・・」と初めに行った場所に戻りました。
すると、あったのです!私が思っていた木の実がひもで結わえて、木の枝にぶら下がっていたんです!
ベンチに乗って、思いっきり枝に手を伸ばして、思っていた通りの木の実を手にしました。
誰かが何かの目的でここに結わえていたのでしょうか・・・
全部を持って行ってはいけない気がして、半分ほどいただきました。(ごめんなさい)
私は思った通りの木の実を手にして、嬉しいというよりも、何かいけないことをしてしまったような気がしました。
家に帰って、主人にその話をしましたら、「おれもそんな人にになりたいな」というので、「いやぁ、何が何でもという強欲さに自分であきれちゃったんだよ」と答えました。
すると、「そうじゃなくて、木の実を結わえた人になりたいんだよ」と彼。
「きっと誰かがそれを必要とするなんて思いもせずに、自分のいたずら心で遊んだだけだと思うよ。それがどうなったかなんて、どうでもいいんだよ。そんな人がいいな。」
・・・・彼にはかなわないなぁ・・・
このことはそれからも、何度も思い出します。
あり得ない奇跡ということではないけど、どうしてあの木の実を手にしたんだろう。
「絶対にある」という信念がそうさせたのか?
そこにあることを、どこかで私は知っていたのだろうか?
木の実を結わえた事と、私の行動が出会った状況はどうして起きたんだろう?
なんでもない、単なる偶然?
手に入れた人と、ただ遊んだ人(こんなに驚かれたことも知らずに)どちらが幸せなんだろう・・・
今、世の中には願望実現関連の本がいっぱいあります。そしてさらに次々と出版されています。
私の本棚にも結構あります。それは、いったいどうしてこの世界が存在しているんだろうか、どういう仕組みで物事が起きているんだろう?という疑問からです。
いわゆる、「引き寄せの法則」的なもの、量子物理学的なアプローチ、スピリチュアル系、古代からの聖典、聖書・・・
言葉や言い回しが違っても、それらの共通していることがあって、それをまとめてみようかなと思いました。「こう考えるのが好き」という、まったく私の好みです。
タイトルの「リンゴが空へと落下する」は「トランサーフィン 鏡の『超』法則」から取りました。作者は ヴァジム・ゼランド、もと量子物理学者でロシア人作としかわかりません。4作シリーズの4冊目です。
他にもあちこちの本から引っ張り出していくと思いますが、リンゴが空へと落下するところまで辿り着けたらいいなと思います。
どうなるかわかりませんが、よかったらおつきあいください。
次回に続きます・・・