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村上春樹「夢を見るために 毎朝僕は目覚めるのです」

  

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       「夢を見るために 毎朝僕は目覚めるのです」

              村上春樹 インタビュー集 文芸春秋 2010年

 

公のメディアの前に、あまり出ることがない村上氏のインタビュー集です。

1Q84』のBOOK1,2を書き終えた、(しかしまだ刊行されていない)時期にあたります。

 題名の面白さと表紙に誘われて手にしました。表紙は、長谷川潔の銅版画「日蝕」です。

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    「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」  

                                      

  作品において境界線<身体と心、生と死、現実と別次元(パラレル・ワールド、  無意識など)>の向こう側に行くことについての質問に対して  

                                     

「・・・仮に人間が家だとします。一階はあなたが生活し、料理し、食事をし、家族と一緒にテレビを見る場所です。二階にはあなたの寝室がある。・・・そして、地下階があります。・・・ところがこの地下階のなかには隠れた別の空間もある。・・・簡単には見つけられない秘密の扉・・・運がよければあなたは扉を見つけて、この暗い空間に入っていくことができるでしょう。・・・それはちょうど夢のようなものです。・・・本を書く時僕は、こんな感じの暗くて不思議な空間にいて、奇妙な無数の要素を眼にするんです。・・・こうした要素が物語を書くのを助けてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです。・・・夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。」                

                   

「・・・僕は読者の精神を揺さぶり、ふるわせることで、読者自身の秘密の部分にかかった覆いをとりのぞきたい。それでこそ、読者と僕のあいだに、何かが起きるんです。」                         

                             本文 P.156-157 

 

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                  「夢の中から責任は始まる」

「・・・我々は意図的に、好きなだけ長く夢を見続けることができます。・・・これは素晴らしい体験ではあるけれど、そこには危険性もあります。夢を見る時間が長くなれば、そのぶん我々はますます深いところへ、ますます暗いところへと降りていくことのなるからです。その危険を回避するには、(また現実にもどるためには)訓練が必要になってきます。肉体的にも精神的にも、強靭でなくてはなりません。それが僕のやっている作業です。」 

                          本文 P.345

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読者とつながるためには遠くまで行かないと何も起こらないという村上氏は、強靭な肉体と精神を作るために修行僧のような生活を送っています。

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 「<一日の日程>長編小説を書く時期に入っていれば、毎朝4時に起きて、5時間か6時間執筆します。午後には10キロ走るか、1,500メートル泳ぐか、あるいはその両方をします。それから本を読ん音楽を聴いたり、だいたい9時頃には寝てしまいます。来る日も来る日も、その日課をだいたいぴたりと守ります。」  

                          本文 P.214                       

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 本を書き終えた後は、書き始めた時とは別人になっているという、書くことは作者も作品とともに進化していく通過儀礼のようだという氏は、自分の物語を見つけるために、自分の魂に達するために深いところに降りていきます。

そして、私たちにもそれは必要だと言います。

      

「我々が我々自身の意見だと見なしているものの多くは、よく考えてみれば、彼ら(メディア)の意見のただの受け売りにすぎないということが、往々にしてあります。心寒くなる話ですが、我々は多くの場合、メディアを通して世界を眺め、メディアの言葉を使って語っているのです。そのような出口にない迷宮に入り込むことを回避するためには、(『ねじまき鳥クロニクル』の)主人公のオカダ・トオルが行ったように、ときとして我々はたった一人で深い井戸の底に降りていくしかありません。そこで自分自身の視点と、自分自身の言葉を回復するしかないのです。」

                           本文 P.368

         

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              文春文庫の表紙

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      村上氏はインタビューの中で、超自然的なこと、宗教的なことには興味ないと言いますが、不思議な体験をしたことも話しています。

  

      「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」        

「1995年100キロレースで、11時間42分かかったのですが、終わりがけに宗教的な体験をしました。」                         本文 P.427

 

       「るつぼのような小説を書きたい」

(作家になろうと思った出来事)

「・・・29歳の四月の初めに、神宮球場の外野席で野球を見ているときに、唐突に小説を書きたくなったという体験。天から何かが降ってきたあの感覚は、今でも手の中にはっきりと残っています。・・・本当に空から羽が降ってくるみたいに、『書きたい』と強く思ったんです。・・・啓示というのかな・・・だからこそやっぱりそれだけ、書くことについての畏敬の念みたいなものが僕の中にあります。絶対的なものに対する畏敬の念です。」

                           本文 P.514-515

 

 これらは他人の体験ではなく、確かな個人的体験で、深い地層での危険でもありうる物語を支える大事な基盤になっているのではないかと思います。

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「僕たちはいつも、たがいにすれちがっています。相互に理解しあうことはできますが、一般的に言って、距離は残る。交差し別れながら、前進をつづけ、出会いの素晴らしい記憶とともに生き続けるんです。ちょうど二基の人工衛星が、たがいの軌道を宇宙空間の中で追いかけあうようにね。僕たちはふれあい、結びつき、思い出を共有して別れる。この思い出は、僕らの心を温め、勇気づけるものです。・・・よい物語や良い本というのは、そのために存在するんです。」

                           本文 P.166

 

   村上氏の作品では(全部を読んではいませんが)「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が好きです。不思議で、こわいような、せつない物語でしたが、絵空事の話ではなく、なぜか腑に落ちる感覚でもありました。きっとそれは村上氏が深いところに降りて行って確かに見てきた場所だったからなのでしょう。

       そして、それは私の知っている場所でもありました。

 

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