福岡伸一 「世界は分けてもわからない」 君が皮膚の細胞になるのなら・・・
福岡氏は分子生物学専攻の生物学者です。
難しい細胞や微生物のことを、絵画や文学を織り交えながら説明してくれます。
本書の中の「細胞は互いに『空気』を読んでいる」が面白かったです。
すべての細胞はたった一つの細胞から出発し、細胞分裂を繰り返しながら皮膚や内臓へと分化していきますが、
「この時細胞は何をしているのか。彼らは互いに自分のまわりの空気を読んでいるのである。空気を読むという比喩が突飛すぎるのであれば、交信といってもよい。・・・・それは次のような会話である。
「君が皮膚の細胞になるのなら、僕は内臓の細胞になるよ」
「君が内臓の細胞になるのなら、僕は皮膚の細胞になるよ」
本文 P.94
「それでは・・・分裂しつつある細胞の塊を人為的にバラバラにしてしまったら?
まわりの空気を読んで、自分のあり方を決めていたのだから、バラされてしまうと、自分が何になるべきかわからなくなる。」
本文 P.96-97
そうなった細胞はほとんどすぐに死んでしまいますが、ほんのわずかの細胞は生き残り、何になるべきか自分を見失ったまま、分裂することだけはやめない、そんな細胞になるそうです。
さらに驚くことに、別の受精卵から発生した初期胚の中に、この細胞を入れたところ、自分探しをし続けていた細胞に突然、まわりの空気が現れて、交信が再開されたと言います。
「こんにちは、ちょっと入れてください。
あなたがそっちに行かれるなら、私はこっちへ進みます。」
「新入りさん、突然ですね、
でもあなたがそういわれるのならそうしてください。私たちもそれなりに 対応しますから」
「・・・自分探しをしていた細胞は、まったく自然に、周囲にとけ込んで己の分際を悟り、その道を進んだ。・・・この細胞こそが、すなわちES細胞である。」
本文 P.98
氏は、自分がいささか細胞を擬人化しすぎているかもしれないと言いつつ、擬人化」しないとうまく伝えることができないふるまいや、現象というものが生命の中にはある、と言います。少なくとも私にはとてもわかりやすい説明です。わかりやすすぎて、なんだか自分のことを言われているのかと、ドキリとします。
氏は「心臓の細胞は、心臓の形や大きさを知らない。心臓の一部であることを知らない。なぜなら心臓とは全体像を知っているわれわれが人体を見たときの絵柄にすぎない。」と言います。
そこで氏はさらに「はたしてわれわれは全体像をどれだけ見ているのか、”全体から切り離された部分”というものがあるのだろうか?」と問いかけます。
私たちは脳の中に”古い水路”を持ち、その水路を通してないはずの線をつなぎ、あるはずの線を消して見ていると言います。おせっかいな認識回路による錯覚で私たちは見ており、つまり見ようとしているものしか見ることができないという、そして見たと思っていることもある意味ですべては空目(空耳に対して仮に呼ぶもの)だという。
真ん中のしるしを見ていると・・・
動いているように見えませんか?
「北斗七星は視力がある程度悪い人にだけ見える星座で、もっと目の良い人が夜空をより広く、より明るく見渡したとすると、北斗七星は徐々にその形を溶かして行く。あふれ来る光の洪水の中に埋もれて、もはや形を成さない。七つの星は、ほどほどの視力を持つ人間が勝手に繋いでみた文字通りの空目でしかない。
・・・しかし光の洪水の中に、私たちはきっと新しい形の星座を見つけるに違いない。なぜなら私たちはいつも星座を探しているのだから。」
本文P.270-271
私というものは、決して全体から切り離されて存在しているわけではなく、関係性において存在していることは理解することができます。関係性を見失ったら、まさに自分を見失い死んでしまうか、自分探しをしながら分裂を繰り返す細胞のようになってしまいます。
ではその関係性を私がどう理解しているかというと、これはまったく”見たいように、思いたいように”であることに間違いありません。自分がどういう存在であるかは、関係性をどのように理解し、作っていくかということなのでしょう・・・
”私”という部分はありえず、全体と不可分なら、その全体というものを知ることができるのでしょうか。私たちは星座を探すようにいつも見える限りの全体から何かを探し出そうとしています・・・
心臓の形も大きさも知らず、心臓の一部であることも知らずに心臓となっていく細胞は、人体というものを知る由もないでしょう。
人体を知らなくても、自分を取り巻く隣の細胞ときちんと交信出来て、自然に心臓の働き出来る細胞・・・私もそんな細胞のようになりたいと思います。