詩人の言葉は漂流瓶 パウル・ツェラン
切りとれ あの祈る手を
空中
から
目の
鋏で、
その指先を詰めよ
お前の接吻でーーー
折り畳まれたものが 今
息を呑ませる有り様で生じる。
1970年「光輝強迫」 中村朝子 訳
佐々木 中氏の本の題名になった パウル・ツェランの詩です。
ツェランはユダヤ人で、両親をナチスの強制収容所で殺され、自身も強制労働収容所で働かされました。極限を生き延びて詩作や翻訳を続け、ドイツで最も権威のあるゲオルク・ビュヒナー賞をはじめ各文学賞を受賞しますが、精神を病み1970年4月49歳でセーヌ川に身を投じました。
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ツェランの詩は難解とされていますが、彼の詩作についての言葉を聞くと、難解にしているのではなく、ただひたすら真実の言葉を見つけているのではないかと思います。
「様々な喪失の只中で、手に届くものとして、近くにあるものとして、失われずに残ったものは言葉だけでした。・・・その言葉は自分自身の答えのないことのなかを、恐ろしい沈黙のなかを、死をもたらす弁舌の千の闇のなかを抜けて来なければなりませんでした。・・・抜けていき、再び明るみに出ることができました、すべての出来事に『豊かにされて』。あの歳月、そしてその後の歳月のなかで、私はこの言葉で詩を書こうとしました。」
(ブレーメン賞受賞の挨拶で)
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想像を絶する「喪失」をくぐり抜けて残った「言葉」で書かれた詩は簡単でわかりやすいはずはありません。でも窮めて個人的な体験を彼は詩によって普遍化させます。
(立つこと)
立つこと、空中の
傷痕の影のなかに。
誰のーためでもなくー何のーためでもなくー立つこと。
識別されず、
ただ
お前だけのために。
そこにあるすべてとともに、
言葉も
持たず。
(糸の太陽たち)
糸の太陽たちが
灰黒色の荒野のうえに。
ひとつの木の‐
高さの考えが
光の音を捕らえる――
人間たちの
あちら側には まだ歌われる歌たちがある。
1967年 「息の転換」中村朝子 訳
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「詩は・・・一つの漂流瓶であるのかも知れません、どこかにそしていつかは陸地に、ひょっとすると心の陸地に辿り着くかもしれないというーーいつも希望にみちてばかりいるとはいえませんがーー信念において流される漂流瓶。・・・それは何かを目指します。」
(同じくブレーメン賞受賞の挨拶で)
ツェランの詩は、(ホロコーストを知らない)私の心に辿り着きました。