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ルーミーとダンス

 

 今日からブログスタートです!

わ我が家の本棚から思いつくままにピックアップして、想いを綴っていこうと思います。

かなり偏っている本棚だなあと思いますが、それがそのまま私だということで、まさに自分を知ることにもなるのかも知れません。

               

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<メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー>

彼の名前は彼の詩や言葉とともに、読んでいる本の中に時々出てきました。

もっと彼の詩や言葉を知りたい、一体どんな人なんだろうと、とても興味を持ちましたが、彼に関する本がなかなか見つからずに苦労しました。今本棚には邦書が4冊、洋書が1冊になりました。

まだ本を手に入れることが出来なかったときに、書きぬきして部屋に貼っておいた詩が手元にあります。

   「誰もかも、我々の仲間として

    やっておいで。

    さすらい人も、

    師を求める人も、

    世捨て人でさえも、かまわないから。

    我々の仲間は 絶望しない者の集いだ。

    今まで千回も誓いを破った人も、

    やってくるがよい。

    さあ、何度でも、もどっておいで。」

 

 この詩にどれだけ救われる想いをしたことか・・・

 

  「私たちは無から回転してやってくる

   塵のように散在する星々です」

  

  「愛する者が偽りを愛せば

   偽りもやがて真実になる」  『メネスヴィー』1巻、2861

 

 彼の詩作について『神秘と詩の思想家 メヴラーナ』の著者は

 「愛を知覚することは一種の才能である。その才能をもつ人々が彼の詩に出会うことで、輝く火花が飛び散ることをメヴラーナは切望した。一瞬の火花のきらめきは、やがて彼らの奥深くに届き、それは眠る火山の爆発にまで高められるだろう。」

と記しています。私に愛を知覚する才能があるかどうかは分かりませんが、彼の言葉は私の奥深いところに届いていると思いたいです。

 

 また、彼はセマーという旋舞するダンスを生み出した、メヴレヴィー・ダルウィーシュ教団の創始者でもあります。このダルウィーシュ・ダンスを通して、深い瞑想意識状態となり、神との一体感に導かれるそうです。

 今日はインド舞踊のレッスンの日でした。バラタナティアムという古典舞踊で、巫女が神に捧げる踊りがはじまりです。

かなりの体力と集中力が必要で、基本を習っているところですが、先生がおっしゃるには行きつくところは”バクティ”(帰依)だそうです。ダルウィーシュ・ダンスと繋がっているかもしれません。

ダンスのレッスンですが、踊りに生き方がそのまま出てしまうわけで恐ろしいのです。

        

                 

 

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        <セマー>             <ナタラジャ>