「自由を着る」自分が清まる買い物
ファッションジャーナリストでエッセイストでもある、光野桃さんが愛してやまない自分の定番の服、バッグ、靴、アクセサリーを紹介している本。
タイトルに惹かれ「大人テイストの自由なファッションの指南書?」のつもりで読んでみたのだけれど、これが奥が深かった。
42点のワードローブは光野さんが愛したこれまでの人生、生き方そのものだ。
カバーの服は光野さんが自分の還暦のために用意した「ちゃんちゃんこ」!
目次を見ると、
「痛みを知ったパール」
「ショールという庭」
「刺繍と子宮」
「孤独なとき、あなたは美しい」
「ピンクを自分に許す」などなど・・言葉のセンスも素晴らしい。
ちょっと本文を引用。
パールは母貝の体内に異物が入ることによってできる、いわば痛みの産物であり、だからこそ悲しいほど美しいのだ、と教えられた。
つけるたび彼女が遺した、悲しみを通して浄められる、という言葉を思い出す。
「痛みを知ったパール」
また、「籠を育てる」では、
籠作りは山にあけびの蔓を採りに行くことから始まり、山に入るときは山の神様に声をかけて取らしてもらうという籠作家の言葉に胸が震える、とある。
光野さんは、そんなふうに作られた籠を
「都会に住む者が浮ついた気持ちで買っていいとも思えない」「自分はその籠の持ち主にふさわしいかどうか」と考える。
そして『物を買って自分が清まらなければ物を持つ資格がない』という柳宗悦の言葉を引用しながら、物の魂と交わり、火花が散るようでなければ買ってはいけない、とまで書いてある。
私はちょうど連休に義母の荷物の片づけをしたこともあって、「物を持つ」ということについて考えていた時だったので、この言葉には考えさせられた。
身の周りを見渡せば気軽な買い物ばかりの我が家。せいぜいがお気に入り程度。
物と自分の魂が出会い、火花を散らすような買い物をしたことがないのは、物の魂に出会うべく私の魂がぼんやりしてしまっているからではないか。
お気に入りの物に出会い、手にすることもそれは楽しいことで素敵なことだと思う。
でもそろそろ魂の火花を散らすような物と出会いたい。
柳宗悦の言う、持つことで「自分が清まるような」出会い・・・光野さんはそれを「恋に落ちる」と表現しているが、ああ、そんな恋に落ちてみたい!(=゚ω゚)ノ
この本を読んでいたら自分が出会えたわけでもないのに、涙の雫のような真珠が欲しくなり、持つほどに艶良く手に馴染むという和籠が欲しくなってしまった、なんと安易な私。
いつか、私の魂の準備が整ったら火花を散らすような物と出会えるだろうか。
その前に、せめて不要なものを整理しなければ・・・
この本のタイトルにある「自由」についても考えさせられるものがあったので、次回に続きます。
はてなIDは語る?
みなさんの記事を読ませていただきながら、ふと、普段何気なく見ているみなさんのIDとニックネームが気になりだしました。
実際の日常での名前とは別に考えたもう一つの名前。
アイコンと合わせるとさらにみなさんのイメージが広がります。
「ああ、ピッタリ!」「なるほど、上手い!」と思うものや「これはどういう意味?」「この数字の意味は?」と謎解きのような楽しさも。
自由な選択の中で選んだ名前は、ブロガーさんのもう一つの記事(メッセージ)ように思えました。もしかしたら記事以上?
何気なくつけたようで、ブログに込められた思いが伝わります。
ちなみに私のley-lineは「古代の遺跡は地図上で直線につながるように建造されている」という仮説からとりました。
古代のネットワークのつながりを表す「妖精の鎖(ley)の軌跡」という意味が気に入っています。
何気なく考えたIDで、記事を書くときには特に意識ていませんでしたが、気がつくと「目に見えるものと目に見えないものとのつながり」みたいなテーマが多かった気がします。
でも今感じることは、記事のことよりも、ブロ友さんたちとの出会いがまさに私のley-lineだということです。
果てしないネット世界での偶然のような出会いが、実はずっと昔からつながるように約束されていたような・・・
記事という合図で呼び合い、つながった出会いは、リアルな生活では出会うことができない関係性を感じます。(ある意味こっちの方がリアルかも)
自分を発信することを決めて最初に考えた言葉であるみなさんのID、ニックネームの意味や由来をぜひ聞いてみたいです。
記事の更新がままならず、移り行く季節の中で写真だけが置いてけぼりになりそうなのでとりあえず写真をUPします。
うちの庭の花たちです。
こちらは息子が入っている寮の庭で。
茨城で食べたおいしいランチ。これでなんと750円!(コーヒーをだいぶ飲んでしまった(^^;)
体調を崩している方が多いような気がします。お大事にしてください。
そういう我が家も連休明けに主人が寝込み、今日は娘が熱で休んでいます。これから病院に連れて行きます(-_-;)
放哉のひとり
咳をしてもひとり
俳句のことはよく知りませんが、尾崎放哉のこの句は知っていました。
尾崎放哉 1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)
東京帝国大学法学部を卒業、東洋生命(現朝日生命)保険に就職し出世コースを進んだエリートだったが、職も妻も捨て、寺を転々としながら俳句を詠む。
最後は小豆島の庵寺で極貧の中病に伏し、島の漁師夫妻の手に抱かれて41才で亡くなる。
酒による失敗やクセのある性格から周囲とのトラブルも多かった。
(wikipediaと句集「放哉」から抜粋)
酒におぼれ、妻や親戚から見放され、友人だけでなく終の棲家と決めた島の住人にまで無心しながら、一方で学歴を鼻にかけていたと聞くと、私なら決して関わりをもちたくないタイプの人です。
でも、この句は衝撃でした。
何もない、のです。
まわりに誰も、何もない。ただ、ひとりなのです。
そのひとりも、寂しいとか哀しいとか嬉しいとか、高揚するものや打ちひしがれるものもありません。
こんなにそぎ落として、詠む句。
それなのにこの圧倒される感覚は何だろうか、とずっと思っていました。
句集「放哉 大空」を刊行した、彼の恩人でもある萩原井泉水の序の言葉を読み、ああ、そういうことなのかと腑に落ちました。
ちょっと長いですが引用します。
その人の風格、その人の境地から生まれる芸術としての俳句は随一なものだと思ふ。
俳句は「あたま」だけでは出来ない、「才」だけでは出来ない、「上手さ」があるだけ、「巧みさ」があるだけの句は一時の喝采は博し得ようとも、やがて厭かれてしまふ。
作者の全人全心がにじみ出ているやうな句、もしくは作者の「わたくし」がすっかり消えているような句(この両極は一つである)にして、初めて俳句としての力が出る、小さい形に籠められた大きな味が出るのである。
(中略)
而して、そのような本当の俳句を故尾崎放哉君に見出したのである。
「作者の全人全心がにじみ出ることと、作者の「わたくし」がすっかり消えていることは一つである」
これだったのです!
「わたくし」がすっかりなくなった時に初めて現れる、全人全心の「己」。
二人や三人、の世界での一人ではない、「ひとり」
私やあなた、の世界ではない、「ひとり」
そんな「ひとり」になったことはありませんが、なぜか惹かれるもの、憧れさえ感じます。
萩原井泉水が言う、何も持たなくなった時に、全てが与えられるような世界。
入れ物はない 両手でうける
蓄えておく入れ物を持たない者こそがうける、はかり知れない恵みを感じます。
かといって放哉は聖人ではなく、どうしようもない自分を知っていました。
その自分を抱え続けたからこそ、「わたくし」をすっかり消す瞬間をとらえられたように思います。
私の好きな句をもう一つ。
追っかけて 追いついた風の中
YouTubeで放哉の句があったので、よかったらご覧ください。
「残心」春を送る
静岡はもうすっかり春が過ぎていますが、写真の整理をしていたら名残惜しくてUPです。
(桜のはなびらが舞うのを喜ぶ姪っ子)
名残りを惜しむで思い出したのですが、先日新聞のコラムのタイトルが「残心」と書いて「おもてなし」とふりがなをつけていました。
弓道の残心は聞いたことがありましたが、「おもてなし」?と気になって少し調べてみました。
武道などでは技を決めた後でも気を抜かずに見届けること、相手に卑怯なことをせず、驕らず、高ぶらず、相手に感謝すること。
剣道の試合において一本取ったことを喜ぶ様(ガッツポーズなど)が見受けられれば、驕り高ぶっていて残心がないとみなされ、一本を取り消されることがあるそうです。
茶道では美しい所作の構えと、お客様の姿が見えなくなっても見送る、一期一会の心を教えているそうです。
何にても 置き付けかへる 手離れは
恋しき人に わかるると知れ
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
(以上wikipediaより)
この「残心」という概念は日本特有ではないか、と書いてあるサイトを見つけました。
それは正しく美しいことを継続するという意思と、相手を慮(おもんぱか)る優しい気持ちがあるのではなかろうか。
このサイトは武道関係でも茶道関係でも芸関係でもない、テクノロジー開発のサイトです。
「開発には残心が必要」という内容がとても良かったので紹介します。
思いがけず「残心」という奥深い言葉を知ることができました。
「残心」はものごとをきちんと終え、新たな動きの前の静寂をつくること。
私にはそんなふうに思えました。
今夜の夕飯のおかずです。
たけのこと蕨を炊き合わせました。
残心で味わいます。
まちがい
草に すわる
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
前回にづづいて「草にすわる」という詩集からの紹介です。
29歳という若さで結核で亡くなった、八木重吉。クリスチャンでもあります。
詩集の題名になっている彼のこの詩を読んだ時、私には彼の草にすわる姿が祈りのように見えました。
同じ詩集の中に谷川俊太郎の「間違い」という詩があります。
間違い
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑に落ちたことが私にあったか
草に座れないから
まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどきに瓦解しかねない
椅子に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて
彼の言う、間違いを知ることを拒む「コンクリート」とは何なのか。
間違いを気づかせないために座る「椅子」とは何なのか。
自分のまわりをコンクリートで覆い、椅子に自分の重さを預けながら、外側に間違いを探す私は、
決して自分の間違いを見つけることはないだろう。
八木重吉のように祈ることはできないだろう。
谷川俊太郎さんが言う「すべてがいちどきに瓦解しかねない」ような間違いがわかる祈り。
こんな幸せな祈り・・・
私は いつも 一番求めるものを 怖がっている。
言い訳をやめて 自分の膝をそのままに自分の両手でかかえて小さく座ったならば、
草が優しくうけとめてくれるだろうか。
ひかる
職場が図書館に隣接しているので、よく昼休みに避難します(〃艸〃)
最近小さな詩集を借りたらとても良かったので、返却する前に好きな詩をブログに残すことにしました。
詩と写真と音楽を合わせていくつか紹介できたらと思います。
一緒に味わってもらえたら嬉しいです。
ひかる
わたしは だんだん
わからないことが多くなる
わからないことばかりになり
さらにさらに わからなくなり
ついに
ひかる とは これか と
はじめてのように 知る
花は
こんなに ひかるのか と
思う
大人になると「わかっている」ことが多くなります。
わかったような気になってしまう危険。
いくつになっても、「わかっている」ことを疑えるようでありたい、
「わからない」という不安定な場所に立てる勇気を持ちたいと思います。
自分を護ることをやめた時、初めて「知る」ことができるのかもしれない。
幼子のように・・・
詩集「草にすわる」 市河紀子 選詩 理論社
さくらの はなびら
えだを はなれて
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
(この写真は去年の桜です)
「 あたりまえ過ぎることの奇跡」を、私はどれだけ本当に感じているだろう。
花びら一枚の出来事が自分とつながっていると、感じることができるだろうか。
まど・みちおさんは、自分にとってどころか、宇宙にとってかけがえのない出来事だと感じています。
詩は、乱暴に日々を過ごしてしまっている自分に正気に戻るようにと教えてくれます。
気まぐれな更新なのに、ブックマークに嬉しいコメントをいただいて本当に感謝です。
みなさんのコメントを読みながら、ブログが私にとってどんなに大事な場所なのかとあらためて思いました。
自分の歩幅で、自分らしくいられる場所を大事にしていきたいと思います。
再開!と大きな声では言えませんが、またよろしくお願いします。
本当は
大事にすること。
大事にされること。
どちらも幸せそうだ。
与えること。
受けとること。
本当は
どちらも一つのことを言っているのかもしれない。
受けとるという与え方は
時に難しい。
猫たちを見習おう。