放哉のひとり
咳をしてもひとり
俳句のことはよく知りませんが、尾崎放哉のこの句は知っていました。
尾崎放哉 1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)
東京帝国大学法学部を卒業、東洋生命(現朝日生命)保険に就職し出世コースを進んだエリートだったが、職も妻も捨て、寺を転々としながら俳句を詠む。
最後は小豆島の庵寺で極貧の中病に伏し、島の漁師夫妻の手に抱かれて41才で亡くなる。
酒による失敗やクセのある性格から周囲とのトラブルも多かった。
(wikipediaと句集「放哉」から抜粋)
酒におぼれ、妻や親戚から見放され、友人だけでなく終の棲家と決めた島の住人にまで無心しながら、一方で学歴を鼻にかけていたと聞くと、私なら決して関わりをもちたくないタイプの人です。
でも、この句は衝撃でした。
何もない、のです。
まわりに誰も、何もない。ただ、ひとりなのです。
そのひとりも、寂しいとか哀しいとか嬉しいとか、高揚するものや打ちひしがれるものもありません。
こんなにそぎ落として、詠む句。
それなのにこの圧倒される感覚は何だろうか、とずっと思っていました。
句集「放哉 大空」を刊行した、彼の恩人でもある萩原井泉水の序の言葉を読み、ああ、そういうことなのかと腑に落ちました。
ちょっと長いですが引用します。
その人の風格、その人の境地から生まれる芸術としての俳句は随一なものだと思ふ。
俳句は「あたま」だけでは出来ない、「才」だけでは出来ない、「上手さ」があるだけ、「巧みさ」があるだけの句は一時の喝采は博し得ようとも、やがて厭かれてしまふ。
作者の全人全心がにじみ出ているやうな句、もしくは作者の「わたくし」がすっかり消えているような句(この両極は一つである)にして、初めて俳句としての力が出る、小さい形に籠められた大きな味が出るのである。
(中略)
而して、そのような本当の俳句を故尾崎放哉君に見出したのである。
「作者の全人全心がにじみ出ることと、作者の「わたくし」がすっかり消えていることは一つである」
これだったのです!
「わたくし」がすっかりなくなった時に初めて現れる、全人全心の「己」。
二人や三人、の世界での一人ではない、「ひとり」
私やあなた、の世界ではない、「ひとり」
そんな「ひとり」になったことはありませんが、なぜか惹かれるもの、憧れさえ感じます。
萩原井泉水が言う、何も持たなくなった時に、全てが与えられるような世界。
入れ物はない 両手でうける
蓄えておく入れ物を持たない者こそがうける、はかり知れない恵みを感じます。
かといって放哉は聖人ではなく、どうしようもない自分を知っていました。
その自分を抱え続けたからこそ、「わたくし」をすっかり消す瞬間をとらえられたように思います。
私の好きな句をもう一つ。
追っかけて 追いついた風の中
YouTubeで放哉の句があったので、よかったらご覧ください。
「残心」春を送る
静岡はもうすっかり春が過ぎていますが、写真の整理をしていたら名残惜しくてUPです。
(桜のはなびらが舞うのを喜ぶ姪っ子)
名残りを惜しむで思い出したのですが、先日新聞のコラムのタイトルが「残心」と書いて「おもてなし」とふりがなをつけていました。
弓道の残心は聞いたことがありましたが、「おもてなし」?と気になって少し調べてみました。
武道などでは技を決めた後でも気を抜かずに見届けること、相手に卑怯なことをせず、驕らず、高ぶらず、相手に感謝すること。
剣道の試合において一本取ったことを喜ぶ様(ガッツポーズなど)が見受けられれば、驕り高ぶっていて残心がないとみなされ、一本を取り消されることがあるそうです。
茶道では美しい所作の構えと、お客様の姿が見えなくなっても見送る、一期一会の心を教えているそうです。
何にても 置き付けかへる 手離れは
恋しき人に わかるると知れ
(茶道具から手を離す時は、恋しい人と別れる時のような余韻を持たせよ)
(以上wikipediaより)
この「残心」という概念は日本特有ではないか、と書いてあるサイトを見つけました。
それは正しく美しいことを継続するという意思と、相手を慮(おもんぱか)る優しい気持ちがあるのではなかろうか。
このサイトは武道関係でも茶道関係でも芸関係でもない、テクノロジー開発のサイトです。
「開発には残心が必要」という内容がとても良かったので紹介します。
思いがけず「残心」という奥深い言葉を知ることができました。
「残心」はものごとをきちんと終え、新たな動きの前の静寂をつくること。
私にはそんなふうに思えました。
今夜の夕飯のおかずです。
たけのこと蕨を炊き合わせました。
残心で味わいます。
まちがい
草に すわる
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
前回にづづいて「草にすわる」という詩集からの紹介です。
29歳という若さで結核で亡くなった、八木重吉。クリスチャンでもあります。
詩集の題名になっている彼のこの詩を読んだ時、私には彼の草にすわる姿が祈りのように見えました。
同じ詩集の中に谷川俊太郎の「間違い」という詩があります。
間違い
わたしのまちがいだった
わたしの まちがいだった
こうして 草にすわれば それがわかる
そう八木重吉は書いた(その息遣いが聞こえる)
そんなにも深く自分の間違いが
腑に落ちたことが私にあったか
草に座れないから
まわりはコンクリートしかないから
私は自分の間違いを知ることができない
たったひとつでも間違いに気づいたら
すべてがいちどきに瓦解しかねない
椅子に座って私はぼんやりそう思う
私の間違いじゃないあなたの間違いだ
あなたの間違いじゃない彼等の間違いだ
みんなが間違っていれば誰も気づかない
草に座れぬまま私は死ぬのだ
間違ったまま私は死ぬのだ
間違いを探しあぐねて
彼の言う、間違いを知ることを拒む「コンクリート」とは何なのか。
間違いを気づかせないために座る「椅子」とは何なのか。
自分のまわりをコンクリートで覆い、椅子に自分の重さを預けながら、外側に間違いを探す私は、
決して自分の間違いを見つけることはないだろう。
八木重吉のように祈ることはできないだろう。
谷川俊太郎さんが言う「すべてがいちどきに瓦解しかねない」ような間違いがわかる祈り。
こんな幸せな祈り・・・
私は いつも 一番求めるものを 怖がっている。
言い訳をやめて 自分の膝をそのままに自分の両手でかかえて小さく座ったならば、
草が優しくうけとめてくれるだろうか。
ひかる
職場が図書館に隣接しているので、よく昼休みに避難します(〃艸〃)
最近小さな詩集を借りたらとても良かったので、返却する前に好きな詩をブログに残すことにしました。
詩と写真と音楽を合わせていくつか紹介できたらと思います。
一緒に味わってもらえたら嬉しいです。
ひかる
わたしは だんだん
わからないことが多くなる
わからないことばかりになり
さらにさらに わからなくなり
ついに
ひかる とは これか と
はじめてのように 知る
花は
こんなに ひかるのか と
思う
大人になると「わかっている」ことが多くなります。
わかったような気になってしまう危険。
いくつになっても、「わかっている」ことを疑えるようでありたい、
「わからない」という不安定な場所に立てる勇気を持ちたいと思います。
自分を護ることをやめた時、初めて「知る」ことができるのかもしれない。
幼子のように・・・
詩集「草にすわる」 市河紀子 選詩 理論社
さくらの はなびら
えだを はなれて
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
(この写真は去年の桜です)
「 あたりまえ過ぎることの奇跡」を、私はどれだけ本当に感じているだろう。
花びら一枚の出来事が自分とつながっていると、感じることができるだろうか。
まど・みちおさんは、自分にとってどころか、宇宙にとってかけがえのない出来事だと感じています。
詩は、乱暴に日々を過ごしてしまっている自分に正気に戻るようにと教えてくれます。
気まぐれな更新なのに、ブックマークに嬉しいコメントをいただいて本当に感謝です。
みなさんのコメントを読みながら、ブログが私にとってどんなに大事な場所なのかとあらためて思いました。
自分の歩幅で、自分らしくいられる場所を大事にしていきたいと思います。
再開!と大きな声では言えませんが、またよろしくお願いします。
本当は
大事にすること。
大事にされること。
どちらも幸せそうだ。
与えること。
受けとること。
本当は
どちらも一つのことを言っているのかもしれない。
受けとるという与え方は
時に難しい。
猫たちを見習おう。
「今 あなたにココロからサンキュ」
早いもので、もう三月になりました。大変ご無沙汰をしていますが、みなさんお元気ですか?
私はオステオパシーの勉強とインド舞踊のレッスンに、時折くじけそうになりながらも励んでいます。
実は年明け早々ですが、私にとってとても大事な方「Kさん」が亡くなりました。
以前に書いた記事でも最後にちょっと紹介したボランティアの先輩の方です。
秋に奥さんからKさんの体調がよくないと聞いてお見舞いに行きましたが、会ってみると思ったよりもお元気そうで、相変わらずの包容力とお茶目さにすっかり甘えさせてもらい、お見舞いに行ったはずの私の方が元気をいただいて帰って来ました。
Kさんの「また酒が飲めるようになった」の言葉に安心していましたが、年を明けたある日、Kさんが夢に出てきて私に「いろいろ、ありがとうな!」と言ったのです。
優しいお顔でしたが、奥さんのことを心配しているような気がしました。
慌てて奥さんに連絡したら、数日前に亡くなったとのこと。
亡くなる日の朝はお奥さんが作ったお雑煮を食べ、知り合いへのお年玉の心配もしていたほどで、あまりにも急なことだったと聞きました。
Kさんは出家された僧侶でしたが、奥さんはタイの国の方です。
若いころお弟子さんだったKさんが、破門を覚悟でお師匠様に奥さんを紹介したところ、お師匠様は二人でお寺を継ぐことをお許しになったそうです。
訃報を聞いてお参りに伺ったお宅には、奥さんの17歳の頃の写真が飾ってありました。撮ったのはもちろんKさん。花畑で花を髪にさして微笑む奥さんの顔を見れば、どれほどお二人が愛し合っていたのかが伝わります。
Kさんたちにはお子さんがいないので、自分が亡くなったら奥さんがタイに帰って暮らせるようにと家を建ててあげたと、お見舞いに行った時にKさんは話していました。
「財産もないから、小さな、まるで掘っ立て小屋だけどな」と笑っていたKさん。
最期は奥さんの腕の中で「あ、り、が、と、う」と言ったそうです。
ご苦労も多く、波乱万丈な道でしたが、熱き心を持ったなんて素敵な人生だったのかと思います。
奥さんもとても素晴らしい方で、大事な芯をぶらさずに、本当に心深き方です。
お二人から受けた影響(お叱りも!)は計り知れず、言葉では語り尽くせませんが、いつか少しずつブログに残せたらと思います。
Kさんがカラオケで必ず歌っていた曲「異邦人」です。(Kさん、いつもちょっとはずれてたけど(笑))思いをこめて贈ります・・・
私のブログといえば、ずっと更新もせずにいますが、新しく読者になってくださった方もいらっしゃって、本当にありがとうございます。
そして、いまだに過去記事にアクセスしてくださる方々がいてくださることに驚いています。
久しぶりにみなさんのブログものぞかせていただきました。
胸が熱くなって思わず更新です。
みなさんに心を込めて曲を選びました。渡辺美里さんの「サンキュ」です。
「こんなに広い都会の片隅で めぐり逢えたのは きっと偶然じゃない」
それから、アイコンを少し変えました。
イルカは同じですが、二頭です!
今までは自分一人でジャンプすることを目指していた気がします。ちょっと思いつめながら(笑)
でもこの頃はもっと自由に楽しみたい!と思うようになりました。
「母なる大きな海で思う存分遊び、喜びのジャンプしたい!」
それはやっぱり、一人ではできないでしょう。
「共に生きる」ことの意味がやっとわかってきたような気がします。
そんな自分の変化をアイコンにしてみました。
まだブログ再開とはいきませんが、こうしている時間も大事かも知れないと思っています。
Kさんへ、そしてブログ仲間のみなさまに・・・
「今 あなたにココロからサンキュ」