ひかる
職場が図書館に隣接しているので、よく昼休みに避難します(〃艸〃)
最近小さな詩集を借りたらとても良かったので、返却する前に好きな詩をブログに残すことにしました。
詩と写真と音楽を合わせていくつか紹介できたらと思います。
一緒に味わってもらえたら嬉しいです。
ひかる
わたしは だんだん
わからないことが多くなる
わからないことばかりになり
さらにさらに わからなくなり
ついに
ひかる とは これか と
はじめてのように 知る
花は
こんなに ひかるのか と
思う
大人になると「わかっている」ことが多くなります。
わかったような気になってしまう危険。
いくつになっても、「わかっている」ことを疑えるようでありたい、
「わからない」という不安定な場所に立てる勇気を持ちたいと思います。
自分を護ることをやめた時、初めて「知る」ことができるのかもしれない。
幼子のように・・・
詩集「草にすわる」 市河紀子 選詩 理論社
さくらの はなびら
えだを はなれて
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
(この写真は去年の桜です)
「 あたりまえ過ぎることの奇跡」を、私はどれだけ本当に感じているだろう。
花びら一枚の出来事が自分とつながっていると、感じることができるだろうか。
まど・みちおさんは、自分にとってどころか、宇宙にとってかけがえのない出来事だと感じています。
詩は、乱暴に日々を過ごしてしまっている自分に正気に戻るようにと教えてくれます。
気まぐれな更新なのに、ブックマークに嬉しいコメントをいただいて本当に感謝です。
みなさんのコメントを読みながら、ブログが私にとってどんなに大事な場所なのかとあらためて思いました。
自分の歩幅で、自分らしくいられる場所を大事にしていきたいと思います。
再開!と大きな声では言えませんが、またよろしくお願いします。
本当は
大事にすること。
大事にされること。
どちらも幸せそうだ。
与えること。
受けとること。
本当は
どちらも一つのことを言っているのかもしれない。
受けとるという与え方は
時に難しい。
猫たちを見習おう。
「今 あなたにココロからサンキュ」
早いもので、もう三月になりました。大変ご無沙汰をしていますが、みなさんお元気ですか?
私はオステオパシーの勉強とインド舞踊のレッスンに、時折くじけそうになりながらも励んでいます。
実は年明け早々ですが、私にとってとても大事な方「Kさん」が亡くなりました。
以前に書いた記事でも最後にちょっと紹介したボランティアの先輩の方です。
秋に奥さんからKさんの体調がよくないと聞いてお見舞いに行きましたが、会ってみると思ったよりもお元気そうで、相変わらずの包容力とお茶目さにすっかり甘えさせてもらい、お見舞いに行ったはずの私の方が元気をいただいて帰って来ました。
Kさんの「また酒が飲めるようになった」の言葉に安心していましたが、年を明けたある日、Kさんが夢に出てきて私に「いろいろ、ありがとうな!」と言ったのです。
優しいお顔でしたが、奥さんのことを心配しているような気がしました。
慌てて奥さんに連絡したら、数日前に亡くなったとのこと。
亡くなる日の朝はお奥さんが作ったお雑煮を食べ、知り合いへのお年玉の心配もしていたほどで、あまりにも急なことだったと聞きました。
Kさんは出家された僧侶でしたが、奥さんはタイの国の方です。
若いころお弟子さんだったKさんが、破門を覚悟でお師匠様に奥さんを紹介したところ、お師匠様は二人でお寺を継ぐことをお許しになったそうです。
訃報を聞いてお参りに伺ったお宅には、奥さんの17歳の頃の写真が飾ってありました。撮ったのはもちろんKさん。花畑で花を髪にさして微笑む奥さんの顔を見れば、どれほどお二人が愛し合っていたのかが伝わります。
Kさんたちにはお子さんがいないので、自分が亡くなったら奥さんがタイに帰って暮らせるようにと家を建ててあげたと、お見舞いに行った時にKさんは話していました。
「財産もないから、小さな、まるで掘っ立て小屋だけどな」と笑っていたKさん。
最期は奥さんの腕の中で「あ、り、が、と、う」と言ったそうです。
ご苦労も多く、波乱万丈な道でしたが、熱き心を持ったなんて素敵な人生だったのかと思います。
奥さんもとても素晴らしい方で、大事な芯をぶらさずに、本当に心深き方です。
お二人から受けた影響(お叱りも!)は計り知れず、言葉では語り尽くせませんが、いつか少しずつブログに残せたらと思います。
Kさんがカラオケで必ず歌っていた曲「異邦人」です。(Kさん、いつもちょっとはずれてたけど(笑))思いをこめて贈ります・・・
私のブログといえば、ずっと更新もせずにいますが、新しく読者になってくださった方もいらっしゃって、本当にありがとうございます。
そして、いまだに過去記事にアクセスしてくださる方々がいてくださることに驚いています。
久しぶりにみなさんのブログものぞかせていただきました。
胸が熱くなって思わず更新です。
みなさんに心を込めて曲を選びました。渡辺美里さんの「サンキュ」です。
「こんなに広い都会の片隅で めぐり逢えたのは きっと偶然じゃない」
それから、アイコンを少し変えました。
イルカは同じですが、二頭です!
今までは自分一人でジャンプすることを目指していた気がします。ちょっと思いつめながら(笑)
でもこの頃はもっと自由に楽しみたい!と思うようになりました。
「母なる大きな海で思う存分遊び、喜びのジャンプしたい!」
それはやっぱり、一人ではできないでしょう。
「共に生きる」ことの意味がやっとわかってきたような気がします。
そんな自分の変化をアイコンにしてみました。
まだブログ再開とはいきませんが、こうしている時間も大事かも知れないと思っています。
Kさんへ、そしてブログ仲間のみなさまに・・・
「今 あなたにココロからサンキュ」
ターナーの絵にやすらぐ
根を詰めて頭がキューっとなってしまう時、
好きな絵や音楽が
自分を「今、ここ」に戻してくれます。
「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」
「海岸に近づくヨット」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
Turner/1775年4月23日 - 1851年12月19日)
久しぶりの更新になってしまいました。
お休みの予告もたびたびになると恥ずかしく、危うく「このままフェイドアウトか?」と思いましたが、交流させてもらっている皆様のお顔(私の中ではしっかり出来上がっていまして)が浮かび、一言近況をご報告しなくてはと思いました。
わたくし、「やってみたい!」と思うととにかく飛び込んでしまう性格でありまして、最近は自分で始めたことでいっぱいいっぱいになっております。
インド舞踊は来年の発表に向けて先生が練習のモードをバシッ!と入れ替えました(=゚ω゚)ノ
自主練習をもっときちんとしないといけません。「体を改造するつもりで」と言われました(>_<)
オステオパシーの勉強も後半に入り、総復習と試験がちらついて、「復習してますか?抜き打ちテストしますよ!」と、こちらも先生の力が入ってきています(/ω\)
今までは一緒に珈琲を飲みながらおしゃべりしてたのに(._.)
整体用のベッドも購入、つい先ほど届きました! 後には引けない(^^;)
そんな中、仕事も法改正に伴い責任が重くなってきて「いつまで続けられるか」と考えるこの頃です。
もちろん!ブログはとても楽しくて、こちらこそつい夢中になってしまいますが、いまはインド舞踊とオステオパシーを優先させようかと思います。(仕事はどうした(-_-)/~~~)
そんなわけで、しばらくは「こんな感じで過ごしています」みたいな気ままな更新になってしまうかも知れません。
皆様のところにもなかなか訪問できません。なので、ここもスター、ブクマ、コメントなどしばらく閉じさせていただきます。
こんなわがままなleyですが、想いは「いつもここにいるよ」です。
そして、「あなたがいて、うれしいです。」
「海と山のピアノ」世界をつなぐものたち
命を育み、
あるいは奪う、
水の静けさ、こわさ、
あたたかさ。
響きあう九つの
短編小説。
九つの物語は、水をモチーフにそれぞれがつながり合いながら、
山と海、現実とビジョン、目に見えるものと見えないもの、一瞬と永遠、あちらとこちらという相対するものをつないでいきます。
それらの物語は不思議で、優しく、哀しく、ときに怖く。
表題の「海と山のピアノ」はグランドピアノとともに海辺に流れついた少女「ちなさ」の物語。
「うみとやまは つながっている」
「みみをすませて みんなにそうつたえて」
言葉を発しないちなさは、海が燃え荒れ狂うことを予感し紙にこう書きます。
予感どおり、突如海が真っ赤に燃えて山のようになって押し寄せた時、初めてみんなはちなさの声を聞きます。
「にげて、ひのうみがよせてくる。にげて、たかいところへ」
ちなさの声は、こどもの昔、言葉を憶えるよりもっと前、全身むき出しでこの世に向かい合っていた幼子の時代から響くようで、光よりもそれは速かった。
荒れ狂う火の海に一人で向かい、ピアノで語りかけ、なだめ、和解しようとするちなさの姿は、オームの怒りに向かうナウシカを思わせます。
この短編集の中で私が好きなのは、四国を舞台にした「ふるさと」です。
2年に1度、村ぐるみで「村うつり」しながら生きていく人たちの物語です。
彼らの新しい村の場所は、鳥の声を聞き分けられるこども「おとりさん」に鳥たちが教えます。
主人公が初めて鳥の歌が聞こえ、「おとりさん」となった時の描写。
十才の秋、急に耳の奥に風穴があいた。
それまでは気にしたこともない木の葉、当たり前と思っていた水の流れ、まわりをとりまくすべてが
色を持ち、光を出し、そして声を放っていた。
わたしはかたばみの声をきいた。空の青の声をきいた。
わたしは明けの明星の声をきいた。
声を出していないものなど、この世には一つもなかった。
住所を持たずに村をつくりながら移動する彼らは、そうすることで人間が自然と暮らすためのバランスをとっているように思えます。
「住所を持たない彼らを鷹揚に受け入れているのは四国という土地だから」
私には彼らが、四国を巡るお遍路さんのように感じました。
自然と共に生きなければならない私たちのために、もう一つの世界でバランスを取り、和解するために鳥に教えてもらいながら「村うつり」をしてくれているのではないかと。
「おとりさん」であることから逃げて都会でOLをしていた主人公は、かつて暮らした村を訪れて再び「声」をきこうと、耳を澄まします。
耳だけではありません、はだしになって足の裏を澄まします。足の裏は動物たちにとっての耳でもあるのです。
そうして姿が見えない家族や村人たちがどこに移ったかを知り、今回も無事に「村うつり」が行われたことを確認します。
それは都会で暮らすようになった主人公が、海も陸も空も人も動物も全てがつながっているということの確認でもありました。
私たちは世界を人間を中心としてみることに、慣れすぎてしまっているように思います。
私たちは全体の関わりの中で、絶えず変化しながら生きている自然の一部なのだと、気づかなければいけないのではないかと。
今見える世界と別の世界が重なり合い、つながっている結び目に、私がいるのではないか、私の中にもいろいろな命が重なっているのではないか、そんなふうに考えさせられました。
ちょうどの本を読んでいた時にブログのお友達の思遠さんがこんな記事をUPしてくださいました。
まさに向こうの世界の声を聴く方がいたのです!
嬉しくて「記事にしますね」とコメントしたのですが・・・
想いを言葉にすることが難しくて、思遠さんに謝って、なかったことにしようかと思っていましたところ・・・
本日こちらもUPされました。
これはもう、うまく伝えられるかなんて心配せず、本と思遠さんの記事だけでも伝えなければと思いました。
(結局長くなってしまいましたが・・・)
ブログをやっていると、なんてつながっているのかと驚きます。
そもそも「海と山のピアノ」はかんのゆうこさまのブログで知りました。
「おとりさん」はまさにhappy-ok3さんを思います。
happy-ok3さんはずっと、日本だけでなく広く震災の支援をされ続けています。
この短編集は東日本大震災をうけての、作者の鎮魂歌であることは間違いありません。
そして、ずっと昔からそしてこれからも、自然と共でなければ生きていけない私たちへの、祈りのようなメッセージだと思います。
私たちが別の世界と思っているところと本当は一つなのだと知ることは、今のこの現実を生きるうえで大事なこと、いえ、そう感じずに生きることはとても危険だと思うのです。
物語には相対する世界をつなぐ人や動物が出てきますが、別の世界につながるには礼儀のような心構えが必要なのかなと思いました。
それは、自分中心ではない心を澄まして聴くこと、ではないかと。
「聴く」というのは十四の心を耳にすることだと教えてもらいました。
十四の心を持つということは喜びだけではない、悲しみ、哀しみ、傷み、悼みを多く知る人ではないかと思います。
別の世界とまではいかずとも、家族や出会う方たちにそんなふうに心を澄ませることができたらと思います。
普段はあわただしく追われるような生活ですが、秋が深まる中、耳を澄まし、足を澄ましてみようと思います。