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いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

「海と山のピアノ」世界をつなぐものたち

命を育み、

あるいは奪う、

水の静けさ、こわさ、

あたたかさ。

響きあう九つの

短編小説。

 

 

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九つの物語は、水をモチーフにそれぞれがつながり合いながら、

山と海、現実とビジョン、目に見えるものと見えないもの、一瞬と永遠、あちらとこちらという相対するものをつないでいきます。

それらの物語は不思議で、優しく、哀しく、ときに怖く。

 

表題の「海と山のピアノ」はグランドピアノとともに海辺に流れついた少女「ちなさ」の物語。

 

「うみとやまは つながっている」

「みみをすませて みんなにそうつたえて」

 

言葉を発しないちなさは、海が燃え荒れ狂うことを予感し紙にこう書きます。

 

予感どおり、突如海が真っ赤に燃えて山のようになって押し寄せた時、初めてみんなはちなさの声を聞きます。

 

「にげて、ひのうみがよせてくる。にげて、たかいところへ」

ちなさの声は、こどもの昔、言葉を憶えるよりもっと前、全身むき出しでこの世に向かい合っていた幼子の時代から響くようで、光よりもそれは速かった。

 

荒れ狂う火の海に一人で向かい、ピアノで語りかけ、なだめ、和解しようとするちなさの姿は、オームの怒りに向かうナウシカを思わせます。

 

 

 

この短編集の中で私が好きなのは、四国を舞台にした「ふるさと」です。

 

2年に1度、村ぐるみで「村うつり」しながら生きていく人たちの物語です。

 

 

彼らの新しい村の場所は、鳥の声を聞き分けられるこども「おとりさん」に鳥たちが教えます。

 

主人公が初めて鳥の歌が聞こえ、「おとりさん」となった時の描写。

 

十才の秋、急に耳の奥に風穴があいた。

それまでは気にしたこともない木の葉、当たり前と思っていた水の流れ、まわりをとりまくすべてが

色を持ち、光を出し、そして声を放っていた。

わたしはかたばみの声をきいた。空の青の声をきいた。

わたしは明けの明星の声をきいた。

声を出していないものなど、この世には一つもなかった。

 

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住所を持たずに村をつくりながら移動する彼らは、そうすることで人間が自然と暮らすためのバランスをとっているように思えます。

 

「住所を持たない彼らを鷹揚に受け入れているのは四国という土地だから」

私には彼らが、四国を巡るお遍路さんのように感じました。

 

 自然と共に生きなければならない私たちのために、もう一つの世界でバランスを取り、和解するために鳥に教えてもらいながら「村うつり」をしてくれているのではないかと。

 

「おとりさん」であることから逃げて都会でOLをしていた主人公は、かつて暮らした村を訪れて再び「声」をきこうと、耳を澄まします。

耳だけではありません、はだしになって足の裏を澄まします。足の裏は動物たちにとっての耳でもあるのです。

そうして姿が見えない家族や村人たちがどこに移ったかを知り、今回も無事に「村うつり」が行われたことを確認します。

それは都会で暮らすようになった主人公が、海も陸も空も人も動物も全てがつながっているということの確認でもありました。

 

 

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 私たちは世界を人間を中心としてみることに、慣れすぎてしまっているように思います。

私たちは全体の関わりの中で、絶えず変化しながら生きている自然の一部なのだと、気づかなければいけないのではないかと。

 

 

今見える世界と別の世界が重なり合い、つながっている結び目に、私がいるのではないか、私の中にもいろいろな命が重なっているのではないか、そんなふうに考えさせられました。

 

 

ちょうどの本を読んでいた時にブログのお友達の思遠さんがこんな記事をUPしてくださいました。

 

moshiryu33.hatenablog.com

まさに向こうの世界の声を聴く方がいたのです!

嬉しくて「記事にしますね」とコメントしたのですが・・・

 

 

想いを言葉にすることが難しくて、思遠さんに謝って、なかったことにしようかと思っていましたところ・・・

本日こちらもUPされました。

moshiryu33.hatenablog.com

 

これはもう、うまく伝えられるかなんて心配せず、本と思遠さんの記事だけでも伝えなければと思いました。

 (結局長くなってしまいましたが・・・)

 

ブログをやっていると、なんてつながっているのかと驚きます。

 

そもそも「海と山のピアノ」はかんのゆうこさまのブログで知りました。

 

kanno-yuko.hatenablog.jp

 

 

「おとりさん」はまさにhappy-ok3さんを思います。

happy-ok3さんはずっと、日本だけでなく広く震災の支援をされ続けています。


 

 

 

この短編集は東日本大震災をうけての、作者の鎮魂歌であることは間違いありません。

そして、ずっと昔からそしてこれからも、自然と共でなければ生きていけない私たちへの、祈りのようなメッセージだと思います。

 

私たちが別の世界と思っているところと本当は一つなのだと知ることは、今のこの現実を生きるうえで大事なこと、いえ、そう感じずに生きることはとても危険だと思うのです。

 

 

物語には相対する世界をつなぐ人や動物が出てきますが、別の世界につながるには礼儀のような心構えが必要なのかなと思いました。

 

それは、自分中心ではない心を澄まして聴くこと、ではないかと。

 

「聴く」というのは十四の心を耳にすることだと教えてもらいました。

十四の心を持つということは喜びだけではない、悲しみ、哀しみ、傷み、悼みを多く知る人ではないかと思います。

 

別の世界とまではいかずとも、家族や出会う方たちにそんなふうに心を澄ませることができたらと思います。

 

普段はあわただしく追われるような生活ですが、秋が深まる中、耳を澄まし、足を澄ましてみようと思います。

 

 

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www.youtube.com

 

 



復活劇場

 

何とかは風邪をひかずと言いますが、珍しく風邪をひいてしまいました。

 

木曜日、仕事で研修会に参加し、講演を聞いていたら急に吐き気が・・・

興味深い内容だったので「ふんふん」とうなづいていたのに、途中から周期的に襲われる吐き気との戦いになってしまいました。

 

何とか午前の講演は持ちましたが、午後のグループワークは

 

f:id:ley-line:20161015181310j:plain isakuさん、お借りしました。私が使ってはダメ?

 

 

研修担当者に事情を説明して帰ることにしました。

吐き気と闘いながら車を運転し(公用車なので事故はできない!)やっと事務所に戻り、課長に説明してそのまま早退。翌日の金曜日、つまり昨日も休みました。

 

 

 

胃腸が全く働かず、熱も出てダウンしてましたが、何とか少しずつ食べられるようになり、今日は予約してあった整体院に鎌倉の江の島まで行ってきました。(いきなり復活)

 

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だいぶ良くなってはいましたが、「ああ、おなかにきてますね。」と先生がおなかをゴニョゴニョ、あとは気功でエネルギー調整してもらったところ、すっかり何かが落ちたかのように体が楽になり、視界が明るくなりました。

 

ここの整体は自宅から電車で2時間以上かかるのですが、それだけかけていく価値があるのです。

膝を痛めて弱気になっていると

「サーファーは強いから、大丈夫!」と励まされ、

「いえ、先生はサーファーですが、私は・・ボーダー?(ボディボードなので)」

ともぞもぞしながらも、先生の言葉には力をもらえます。

 

私の前に治療していたおばあさんが、「ああ、よかった。このまま歩けなくなるかと思った」と言ったら、

「そんなことはさせません!」

と先生。かっこいいなァ・・・

 

そんなわけですっかり元気になって、帰りは観光気分。

今夜は花火大会があるとのことで通りは大賑わい。外国人の方も結構歩いていました。

 

 

江の島駅前にはこんなかわいいパン屋さん。(サンドイッチとあんぱんゲット!)

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海ですねェ、こんなお店が並んでいます。

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本当は江の島と言えば「シラス丼」が有名ですが、さすがに今日はとても食べられず。

この伊勢海老とサザエが並べてある海鮮定食のお店、お客さんが並んでいた。

次回はきっとここで食べるどー!

 

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気持ちを切り替え、おしゃれなコーヒー店で一休み。

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落ち着いた店内とメニュー。

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注文したのは、カフェオレ。

カップが持って行った本とピッタリ!

 

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・・・だけではなく、伊豆あんを使った粟ぜんざいも。( *´艸`)

なんと、福ふくさんがご一緒に登場です。

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粟の餅が入って、あんもとてもなめらかで、ちょうどよい甘さ💛

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福ふくさんの中身はしその実の塩漬け!これが甘いぜんざいといただくと最高でした。

 

 

 

すっかり満足して歩いていると、おっと!いい感じのパン屋さん。(そうなんです、私パンが大好きでつい引き寄せられてしまいます)

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手作り感いっぱい!このショーケースでの販売にこだわっているそうです。

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写真を撮ってもいいですか?と聞くと照れながらもにこやかに写ってくださいました。

何十年も地元の小中学校の給食に出しているとのこと。

この信頼の笑顔。ありがとうございました。(カレーパンとツナロールゲット!)

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というわけで、ばっちり回復して(回復しすぎ)江の島をあとにしました。

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来週は月曜から水曜日まで二泊三日の研修会に行ってきます。

主人と娘と猫のお留守番、どうなることやら・・・

「ズートピア」はすごかった!

 

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 少し前の作品ですが、ズートピアを紹介します。

映像を見て、ディズニーの子供向けの可愛い映画だと思ったら大間違い!

 

非力な草食動物のウサギが、警察官という自分の大きな夢に向かって正義感にあふれながら成長し、巨大な悪に挑むという胸のすくようなポリス・アクション映画・・・

 

確かにそうなんですが、そのストーリーの裏にあるメッセージに深く深く考えさせられました。

 

 

表のストーリーは・・・

動物たちが進化?してハイテクな文明を持ち、肉食・草食を問わず、大小さまざまな動物たちが共存して暮らす世界の大都市、「ズートピア」。そこは誰もが夢をかなえられる場所。

小さなウサギのジュディは、史上初のウサギの警察官として希望に胸をふくらませ、大都市「ズートピア」にやってきます。

ひょんなことから、本来(進化以前)なら食うか食われるかの関係であるキツネのニックと出会い、二人で力を合わせ巨大な悪の組織に挑みます。

 

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では、裏のメッセージは・・・

私は自分の中に差別や偏見がいかに根深く存在するかを考えさせられました。

あらゆる動物が共存できる世界である「ズートピア」は一見幸せそうですが、その裏には何重ものトリックに隠された偏見と差別が存在しています。

ズートピア」は、平和と共存を目指している(はず)の私たちの世界でもあります。

平和と共存を謳いながら、正義であることを武器に巧みに世界を支配しようとしている者。

自己防衛を理由に武器を持つことを正当化する者。

そしてそれは社会を動かすような、権力や影響力をもつ人たちのことだけでなく、この私自身でもあるのです。

 

映画でも、正義と公正を自負するジュディですが、自分でも気づかないところにある偏見・差別の意識が大事な記者会見のスピーチで出てしまいます。

その発言が社会の不安をあおり、不安は大きな偏見となって一部の動物を排除していくことになります。

そして、何よりも大事な友人であるニックを深く傷つけてしまいます。

 

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ズートピア」のプロデューサーであるジャレド・ブッシュがインタビューで語っています。

全ての人は互いに交流する方法を持っているけど、その一方で、全ての人は他のグループや異なるタイプの人間に対する先入観を持ってもいる。

本作では、これを描きたかったんだ。白人と黒人について詳しく語るのではなく、「自分も他の人に対して先入観を持っているのかもしれない」と観客に感じてほしかった。

だから本作では、悪役だけに偏見を抱かせるのではなく、主人公を含む全てのキャラクターに偏見を抱かせることが、とても重要だったね。

人々が自分自身を顧みることで解決されるべき普遍的な事柄について描くことは、何らかの間違いを正して、小さな違いを作り、ものごとをより良くしていくために大切なことだよ。

 

 プロデューサーが語る偏見を持つ「全てのキャラクター」には、私たち観客までもが含まれているのです。

 

こちらはジブリ鈴木敏夫さんのコメントです。 

こんな映画がなぜ誕生したのか?

動物たちが主人公なので子ども向けかと思ったら大間違い。

この作品は、資本主義の果てに、どういう社会が生まれるのかを暗示している。
ディズニー映画の中でもずば抜けた傑作です!

 

 

 

 しかし、こんなに重いテーマを扱っているのにも関わらず、見終わった後は深く考え させられながらも、もう一度夢を持ちたいと思わせるところがディズニー映画です。

 

パロディをふんだんに効かせ、ユーモアと見事なアクションをおりまぜながら一気に魅せるところはさすがだと思いました。

 

  

映画に登場するネズミのマフィアのボス、「ミスタービッグ」は

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ゴッドファーザーのパロディー!

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さて、物語のジュディは自分の中に潜んでいた偏見と差別によって、大事な友人を傷つけ、夢であった警察官にも挫折して田舎に帰ります。

 

でもジュディは再び、ニックとの友情を取り戻します。

ジュディはどうしたと思いますか?

 

謝ったのです。心から自分の間違いをニックに謝りました。

 

何だ、そんなことと思いますか?

私は、それは簡単なようで、実はとても難しいことだと思います。

しかも、それしかない、素晴らしいことだと思います。

 

 

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私たちは、間違います。

小さな間違いから、許されるものではないと感じるほどの大きな間違いまで。

私たちは何度も間違うでしょう。

 

でも間違いだと気づく勇気と、気づいたら反省して、相手に心から謝ることしかないのではないでしょうか。

そして、そこからもう一度スタートするしかないのではないかと思います。

 

 

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Shakira - Try Everything (Official Video)

 

 Try Everything

 

  今夜私はしくじってしまった
  また戦いに敗れてしまった

  まだまだ私は失敗ばかりするけど、また再スタートすればいい
  いつも転んでばかりで
  地面に打ち付けられては
  次に何が来るが見るために、いつも立ち上がる

  鳥たちはただ飛んでいるんじゃない
  彼らは落ちてはまた立ち上がっているの
  どんな人だって与えずには学ぶことはないから


  私は諦めない、私は降参しないから
  最後の最後まで
  そしてまた再スタートを切るの
  私はいなくならないわ
  私はすべてに挑戦したい

  挑戦したい、たとえ失敗することがあっても

  私はいつだって新しいミスを犯すだろう

  私は毎日ミスを犯すだろう
  新しいミスを

 

きっと思い出すだろう

先月の満月の夜のことです。

  

子どもたちにそれぞれ予定ができて、久しぶりに(本当に久しぶり)主人と二人で夕飯を食べに行くことにしました。

車中での会話が何かぎこちない感じ。(今まで子どもあっての夫婦の会話だった?)

 

私が提案したお店はお値段がちょっと高めかもしれないと気づき主人に「お金ある?」と聞いたら

「たくさんある!」(ほんと?(^^;)

ちなみに我が家は私がどんぶり妻で、主人の方がしっかりしてます。そのくせ私が威張っている。

 

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画像はイメージです(笑)

 

 

お店に到着。

エキゾチックで落ち着いたスペイン料理の店内は薄暗く、各テーブルにろうそくが灯っていました。

雰囲気はよいのですが、二人とも「うーん、メニューが見にくい」(はい、老眼が始まっております)

名前だけではよくわからないメニューを照れもせずいろいろと質問。(知ったかぶりはしない二人)

前菜の盛り合わせとメキシコ料理のごはん(スペイン料理だった?)と初めて聞く名前のパスタ(もう名前を忘れてしまった)、カクテルとソーダの入ったフレッシュジュースを注文してしばし待機。

 

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こちらもイメージです(^^;

 

 

窓からは薄雲がかかった満月が見えます。(いい感じ💛)

 

「月にかかっている雲は、高い位置かな?」と主人。

「?」

スカイラインを走ったら、雲が晴れた月が見えるかなと思って。」

「・・・もしかして(しょぼい)伊豆スカイラインのこと?・・・雲の上に出ると!?」

「無理、か・・・」

「!!!???」

(あなたは確か理系のはずでは?)(=゚ω゚)ノ

 

まるで『お母さん、雲ってずいぶん高いところにあるんだね』状態の主人の言葉に笑い止まらずの私。(隣の席の静かなカップルさん、ごめんなさいね)

 

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しつこいですがこちらの画像もイメージです。

 

 

運ばれた料理はどれも美味しくて量もたっぷり(私たちはここが大事)で満足満足。

 

『たくさん』持っている主人が支払いを無事に終え帰途へ。ムム?帰る方向が違う。

 

「ちょっと海を見て帰ろう」(主人)

(・・・何だろう?)

 

夜の海辺に二人・・・

どんな告白があるかと思いきや、(「これまで、我慢してきたんだけど・・」的な告白ですよ(-ω-)/)

 

携帯のライトを海面に照らしながら「ダメだ、何も見えない」

 

どうも魚が集まるのを見たかったようです。"(-""-)"

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画像はあくまでもイメージですが、まさにこんな感じ。

 

岸壁には「(何かの)禁止!!」の赤い文字が書かれ、煙草をくわえたおじさんが「は?」みたいに通り過ぎる、まったくの小さな漁港。

 

 

「今、津波が来たらダメだよねェ」(私)

「あそこの階段を上るんだ。」

(私は無理、あなた一人で上ってください)

 

ロマンティックとはかけ離れた二人です。

 

満月のディナーと夜の海、あきれた満喫した二人は家路につきました。

 

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いつか、もっと年を取って、いろいろなことがわからなくなる時が来るかもしれない。

 

でもきっと、こんな夜のことを思い出す気がする。

 

  

 

 

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かんのゆうこさんのブログ

「はりねずみのルーチカ」を書いている、かんのゆうこさんのブログです。

記事がとても良かったので紹介しますね。

銀の小箱

児童文学・童話作家 かんのゆうこのブログ

 

kanno-yuko.hatenablog.jp

 

うちの猫も息子と寝てました(4年くらい前の写真)

今は息子が寮生活なので、たまに帰ると大喜びしてます。(猫がですよ。私は普通です、普通(^^;)

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最近の我が家の猫たちです。

「シンメトリー」

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居心地のいい場所らしく、よく寝ています。「野原の大福」

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この子たちには世界がどんな風に見えているのかな・・・「時には、思慮深く」

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「こちらあみこ」悲しいほど強く優しくしたい

 「こちら あみ子」

 

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第24回(2011年) 三島由紀夫賞受賞・第26回太宰治賞受賞作

 

 

 

ずっと居心地の悪さを感じながら読んでいた。

作者は「何か」を語らないまま話が進む。

 

話の中には悪い人はだれもいない。

むしろみんな優しい人たちだ。

その優しい人達が壊れていく。

優等生のクラスメイトは暴力をふるい、かばってくれた兄は不良になる。きちんとした義理の母は心の病にかかり、穏やかな父はあみ子を捨てる。

 

壊す原因となる「あみ子」。ではあみ子が悪いのか?

あみこ子は生き生きと世界とかかわっているだけ。

家族が大好きで、新しく生まれる弟を待ち望み、そして恋をしただけだ。

 

あみ子はしかし、社会では何らかの「障害」があるといわれるのだろう。

 

「あみ子は私だと思った」と熱烈なメッセージを送った人もいるが、私はそちらにはいない。

私は「壊れていく優しい人たち」の側にいる。

 

社会は優しい人達が壊れないようにあみ子のようなものを排除していく。

壊れた人に同情して「これ(排除すること)は仕方ないよね」「その方が本人にもいいから」と納得する。

 

みんなの足並みを乱し、多数がうまくいくための行動をとらない。

そういう自分たちに都合の悪いものを排除することで守ろうとする社会は、はたして優しい社会だろうか。

 

優しい人が優しくできなくなる過程の描写は痛い。

あみ子に悪気がなく、ただせいいっぱいの愛情表現であるだけになおさらきつい。

 

  

 

優しい人が壊れてしまう原因は「あみ子」なのだろうか。

 

本当の原因を見るのを恐れて「あみ子」のせいにしているのではないのか。

自分たちに都合の良いものだけを良しとする考え、都合の悪いものを排除することで自分が存在できるという思いは結果的に自分を追い詰める。

 

都合の悪いものは、実は自分にとってなくてはならないものかも知れない。

 

 

▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △

 

 

私は小学校の時に知的障害のYちゃんと、家が近所だったので一緒に登下校していた。

はたから見れば私は「面倒を見てあげる子」で「えらい子」だったと思う。

Yちゃんががクラスでほかの子にいじめられると、私は相手が男子でも取っ組み合いのけんかをした。

プールで誰かに足をすくわれてパニックを起こせば、飛び込んで大丈夫だとなだめた。映画鑑賞会で体育館が暗くなると恐がるのでずっと手を握っていた。

でもなぜか二人きりの時、無性に意地悪をしたくなったのだ。

わざとYちゃんが嫌がることをして泣かせてしまった。

私が誤るとYちゃんはいつも許してくれた。

 

  

Yちゃんは小学校を終えると特別支援学校に通うことになり、私とはもうあまり会わなくなった。

たとえ、どこかで見かけても声をかけるのをためらう自分がいた。

 

しかし、これまでの私の人生で最もつらい時期、だれにも会いたくなかった時になぜかあのYちゃんに無性に会いたかった。

 

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その時、本当はずっと私がYちゃんに甘えていたことに気づいた。

 

 

▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △

 

 

 あみ子のことをずっと気にかけている野球少年がいる。

好きとか嫌いとか、自分に都合がいい悪いではないところであみ子を見ている。

 

その野球少年に 

「みんなが自分を気持ち悪いと思うのは、どこか。おしえてほしい」とあみ子は真剣に問う。

 

笑っていた野球少年の顔がふいに引き締まり、あみ子から目をそらさず、少しの沈黙の後ようやく口を開き、堅く引き締まったままの顔で

 

「そりゃ、おれだけの秘密じゃ」

と答える。

 

 そう答える少年の目はおよいでおり、あみ子はそのおよぐ目に向かって、

 

「優しくしたい」と強く思い、言葉を探す。

 

しかし、強く思えば思うほど悲しくなり、言葉は見つからない。

 

あみ子という存在が、自分の大事な場所につながる存在なのだと、少年は気づいていたのだ。

みんなはそれを「気持ち悪い」と言って避けたが、少年は「おれだけの秘密じゃ」と正直に答えた。

それは本当に、自分だけの秘密の場所に違いない。

 

だれにも言えない大事な場所で、少年とあみ子はつながった。

 

そこは悲しいほど強く「優しくしたい」と思える場所。

 

 

  

一人だけで田舎の祖母のところに行くと、父に決められたあみ子。

荷物整理しながら、昔父に買ってもらったトランシーバーを一台見つける。

 

応答するはずのもう片方のトランシーバーはどこかになくなってしまっていた。

 

あみ子はトランシーバーに向かって呼びかける。

「こちら、あみ子!」 

 

壊れたトランシーバーにたった一人答えてくれた兄は、あみ子が「こわくないよ安心しんさい」と手を伸ばそうとした鳥の巣を卵と一緒に投げ壊す。

「その人はあみ子が生まれた時から知っている人だったがどうしても結びつかず、一番強い動物のようだった」という描写が心に残る。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 片割れのトランシーバーは、ずっと私のところにあるのではないか。

私はそれを捨ててしまったのだろうか、それとも見えないところに隠してしまっているのだろうか。

 

 

私が隠していたトランシーバーがどこかでかすかに音を立てている・・・

 

 

 

 

 

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「流星」
たとえば僕がまちがっていても
正直だった悲しさがあるから……流れて行く
静けさにまさる強さは無くて
言葉の中では何を待てばいい……流れて行く
たしかな事など何も無く ただひたすらに君が好き
夢はまぶしく 木もれ陽透かす 少女の黒髪もどかしく
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

さりげない日々につまずいた僕は
星を数える男になったよ……流れて行く
遠い人からの誘いはあでやかで
だけど訪ねさまよう風にも乗り遅れ……流れて行く
心をどこか忘れもの ただそれだけでつまはじき
幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

流れる星は今がきれいで ただそれだけに悲しくて
流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで
君の欲しいものは何ですか
僕の欲しかったものは何ですか

 

 

 

『このあとどうしちゃおう』ヨシタケシンスケ

ヨシタケシンスケさんの『このあとどうしちゃおう』

 

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”ぼく”は おじいちゃんがしんだあとで

おじいちゃんがかいた「このあと どうしちゃおう」ノートを見つける。

 

そのノートには おじいちゃんの 絵と文字で

「じぶんが しょうらい しんだら どうなりたいか どうしてほしいか」が、かいてあった。

「うまれかわったらなりたいもの」「こんなかみさまにいてほしい」「てんごくってきっとこんなところ」「みんなにつくってほしいきねんひん」

 

”ぼく”はノートを見ていてなんだかワクワクしてくる。

「おじいちゃんは しぬのがたのしみだったんだろうか?」

でも、ちょっとまてよ。もしかしたらぎゃくだったのかもしれない。

・・・・・・・

”ぼく”は おじいちゃんがどんな思いだったのかを考える。

 

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ヨシタケさんは27歳でお母さんを、33歳でお父さんをなくしているそうです。ご両親の死を経験したことと、震災がこのを絵本かくきっかけになったとインタビューにありました。

 

 ヨシタケ シンスケ
1973年、神奈川県生まれ。絵本作家、イラストレーター。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチで人気を集める。絵本作家としてのデビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)と3作目『りゆうがあります』(PHP研究所)で、「MOE絵本屋さん大賞」初の2冠を獲得。『もう ぬげない』(ブロンズ新社)はツイッターなどのSNSで大きな反響を呼んだ。2児の父。
http://www.osoraku.com/

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この絵本を読んで間もなく、8月に私の父が亡くなりました。

3年もの入院生活で次第に弱くなっていた父がいたから、思わずこの絵本を手にしたのかもしれません。

亡くなってから、父が使っていた手帳を3冊見つけました。

 

そこには私たち三人のこどもが家を出てからの、何度かの転居先の住所と電話番号、勤め先の電話番号、結婚式の日と招待客の名前、孫の名前と誕生日、車のナンバーまで書いてありました。

 

そしてカレンダーには自分の趣味の予定の間に、私の家に遊びに行ったこと、誕生日に私が送ったプレゼントのこと、私たち家族が来て帰った日が書いてありました。(家に帰ったのがあまりに少なくて、もっともっと帰ればよかった・・・)

 

そして、8年前の母が亡くなった日には病名と亡くなったとだけ書いてあり、その文字は震えてゆがんでいました。

 

本を読んで気に入った文章やテレビで聞いた言葉、俳句も記されていて、父がどんなことに心を惹かれていたのか、孤独や老いとどんな気持ちで向き合っていたのかを初めて知りました。

 

 

『このあとどうしちゃおう』の”ぼく”は

「ぼくだったら、どうしちゃおうかな」と考えてみます。おじいちゃんのノートのおかげで楽しく考えられるのですが、

しんでからのことを考えていると、生きているうちに やりたいことがいっぱい あることに気づきます。 

 

 

もしかしたら、おじいちゃんも同じだったのかもしれない、本当はそのことを伝えるためのノートだったのかもしれないと思えました。

 

 

父の手帳は、正直まだ読むのがつらく、まだ全部を読んでいません。

でも、父が自分のためだけに書いたであろう手帳ですが、残してくれて本当に嬉しいです。

 

 

『このあとどうしちゃおう』では「みんなを見守っていく方法」というのがいくつも書いてあります。

その方法は・・・・これは泣けました。

 

 

このタイミングでこの本を手にすることができたことに感謝します。

 

 

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休み明け、私にしては記事を一気に書いた感があります。

ここで少し休憩いたします・・・(この波の粗さに自分でもあきれています)