いつもここにいるよ

あなたがいて、うれしいです

「こちらあみ子」悲しいほど強く優しくしたい

 「こちら あみ子」

 

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第24回(2011年) 三島由紀夫賞受賞・第26回太宰治賞受賞作

 

 

 

ずっと居心地の悪さを感じながら読んでいた。

作者は「何か」を語らないまま話が進む。

 

話の中には悪い人はだれもいない。

むしろみんな優しい人たちだ。

その優しい人達が壊れていく。

優等生のクラスメイトは暴力をふるい、かばってくれた兄は不良になる。きちんとした義理の母は心の病にかかり、穏やかな父はあみ子を捨てる。

 

壊す原因となる「あみ子」。ではあみ子が悪いのか?

あみこ子は生き生きと世界とかかわっているだけ。

家族が大好きで、新しく生まれる弟を待ち望み、そして恋をしただけだ。

 

あみ子はしかし、社会では何らかの「障害」があるといわれるのだろう。

 

「あみ子は私だと思った」と熱烈なメッセージを送った人もいるが、私はそちらにはいない。

私は「壊れていく優しい人たち」の側にいる。

 

社会は優しい人達が壊れないようにあみ子のようなものを排除していく。

壊れた人に同情して「これ(排除すること)は仕方ないよね」「その方が本人にもいいから」と納得する。

 

みんなの足並みを乱し、多数がうまくいくための行動をとらない。

そういう自分たちに都合の悪いものを排除することで守ろうとする社会は、はたして優しい社会だろうか。

 

優しい人が優しくできなくなる過程の描写は痛い。

あみ子に悪気がなく、ただせいいっぱいの愛情表現であるだけになおさらきつい。

 

  

 

優しい人が壊れてしまう原因は「あみ子」なのだろうか。

 

本当の原因を見るのを恐れて「あみ子」のせいにしているのではないのか。

自分たちに都合の良いものだけを良しとする考え、都合の悪いものを排除することで自分が存在できるという思いは結果的に自分を追い詰める。

 

都合の悪いものは、実は自分にとってなくてはならないものかも知れない。

 

 

▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △

 

 

私は小学校の時に知的障害のYちゃんと、家が近所だったので一緒に登下校していた。

はたから見れば私は「面倒を見てあげる子」で「えらい子」だったと思う。

Yちゃんががクラスでほかの子にいじめられると、私は相手が男子でも取っ組み合いのけんかをした。

プールで誰かに足をすくわれてパニックを起こせば、飛び込んで大丈夫だとなだめた。映画鑑賞会で体育館が暗くなると恐がるのでずっと手を握っていた。

でもなぜか二人きりの時、無性に意地悪をしたくなったのだ。

わざとYちゃんが嫌がることをして泣かせてしまった。

私が誤るとYちゃんはいつも許してくれた。

 

  

Yちゃんは小学校を終えると特別支援学校に通うことになり、私とはもうあまり会わなくなった。

たとえ、どこかで見かけても声をかけるのをためらう自分がいた。

 

しかし、これまでの私の人生で最もつらい時期、だれにも会いたくなかった時になぜかあのYちゃんに無性に会いたかった。

 

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その時、本当はずっと私がYちゃんに甘えていたことに気づいた。

 

 

▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △

 

 

 あみ子のことをずっと気にかけている野球少年がいる。

好きとか嫌いとか、自分に都合がいい悪いではないところであみ子を見ている。

 

その野球少年に 

「みんなが自分を気持ち悪いと思うのは、どこか。おしえてほしい」とあみ子は真剣に問う。

 

笑っていた野球少年の顔がふいに引き締まり、あみ子から目をそらさず、少しの沈黙の後ようやく口を開き、堅く引き締まったままの顔で

 

「そりゃ、おれだけの秘密じゃ」

と答える。

 

 そう答える少年の目はおよいでおり、あみ子はそのおよぐ目に向かって、

 

「優しくしたい」と強く思い、言葉を探す。

 

しかし、強く思えば思うほど悲しくなり、言葉は見つからない。

 

あみ子という存在が、自分の大事な場所につながる存在なのだと、少年は気づいていたのだ。

みんなはそれを「気持ち悪い」と言って避けたが、少年は「おれだけの秘密じゃ」と正直に答えた。

それは本当に、自分だけの秘密の場所に違いない。

 

だれにも言えない大事な場所で、少年とあみ子はつながった。

 

そこは悲しいほど強く「優しくしたい」と思える場所。

 

 

  

一人だけで田舎の祖母のところに行くと、父に決められたあみ子。

荷物整理しながら、昔父に買ってもらったトランシーバーを一台見つける。

 

応答するはずのもう片方のトランシーバーはどこかになくなってしまっていた。

 

あみ子はトランシーバーに向かって呼びかける。

「こちら、あみ子!」 

 

壊れたトランシーバーにたった一人答えてくれた兄は、あみ子が「こわくないよ安心しんさい」と手を伸ばそうとした鳥の巣を卵と一緒に投げ壊す。

「その人はあみ子が生まれた時から知っている人だったがどうしても結びつかず、一番強い動物のようだった」という描写が心に残る。

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

 

 片割れのトランシーバーは、ずっと私のところにあるのではないか。

私はそれを捨ててしまったのだろうか、それとも見えないところに隠してしまっているのだろうか。

 

 

私が隠していたトランシーバーがどこかでかすかに音を立てている・・・

 

 

 

 

 

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「流星」
たとえば僕がまちがっていても
正直だった悲しさがあるから……流れて行く
静けさにまさる強さは無くて
言葉の中では何を待てばいい……流れて行く
たしかな事など何も無く ただひたすらに君が好き
夢はまぶしく 木もれ陽透かす 少女の黒髪もどかしく
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

さりげない日々につまずいた僕は
星を数える男になったよ……流れて行く
遠い人からの誘いはあでやかで
だけど訪ねさまよう風にも乗り遅れ……流れて行く
心をどこか忘れもの ただそれだけでつまはじき
幸福だとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない
君の欲しいものは何ですか 君の欲しいものは何ですか

流れる星は今がきれいで ただそれだけに悲しくて
流れる星はかすかに消える 思い出なんか残さないで
君の欲しいものは何ですか
僕の欲しかったものは何ですか

 

 

 

『このあとどうしちゃおう』ヨシタケシンスケ

ヨシタケシンスケさんの『このあとどうしちゃおう』

 

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”ぼく”は おじいちゃんがしんだあとで

おじいちゃんがかいた「このあと どうしちゃおう」ノートを見つける。

 

そのノートには おじいちゃんの 絵と文字で

「じぶんが しょうらい しんだら どうなりたいか どうしてほしいか」が、かいてあった。

「うまれかわったらなりたいもの」「こんなかみさまにいてほしい」「てんごくってきっとこんなところ」「みんなにつくってほしいきねんひん」

 

”ぼく”はノートを見ていてなんだかワクワクしてくる。

「おじいちゃんは しぬのがたのしみだったんだろうか?」

でも、ちょっとまてよ。もしかしたらぎゃくだったのかもしれない。

・・・・・・・

”ぼく”は おじいちゃんがどんな思いだったのかを考える。

 

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ヨシタケさんは27歳でお母さんを、33歳でお父さんをなくしているそうです。ご両親の死を経験したことと、震災がこのを絵本かくきっかけになったとインタビューにありました。

 

 ヨシタケ シンスケ
1973年、神奈川県生まれ。絵本作家、イラストレーター。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常のさりげないひとコマを独特の角度で切り取ったスケッチで人気を集める。絵本作家としてのデビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)と3作目『りゆうがあります』(PHP研究所)で、「MOE絵本屋さん大賞」初の2冠を獲得。『もう ぬげない』(ブロンズ新社)はツイッターなどのSNSで大きな反響を呼んだ。2児の父。
http://www.osoraku.com/

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この絵本を読んで間もなく、8月に私の父が亡くなりました。

3年もの入院生活で次第に弱くなっていた父がいたから、思わずこの絵本を手にしたのかもしれません。

亡くなってから、父が使っていた手帳を3冊見つけました。

 

そこには私たち三人のこどもが家を出てからの、何度かの転居先の住所と電話番号、勤め先の電話番号、結婚式の日と招待客の名前、孫の名前と誕生日、車のナンバーまで書いてありました。

 

そしてカレンダーには自分の趣味の予定の間に、私の家に遊びに行ったこと、誕生日に私が送ったプレゼントのこと、私たち家族が来て帰った日が書いてありました。(家に帰ったのがあまりに少なくて、もっともっと帰ればよかった・・・)

 

そして、8年前の母が亡くなった日には病名と亡くなったとだけ書いてあり、その文字は震えてゆがんでいました。

 

本を読んで気に入った文章やテレビで聞いた言葉、俳句も記されていて、父がどんなことに心を惹かれていたのか、孤独や老いとどんな気持ちで向き合っていたのかを初めて知りました。

 

 

『このあとどうしちゃおう』の”ぼく”は

「ぼくだったら、どうしちゃおうかな」と考えてみます。おじいちゃんのノートのおかげで楽しく考えられるのですが、

しんでからのことを考えていると、生きているうちに やりたいことがいっぱい あることに気づきます。 

 

 

もしかしたら、おじいちゃんも同じだったのかもしれない、本当はそのことを伝えるためのノートだったのかもしれないと思えました。

 

 

父の手帳は、正直まだ読むのがつらく、まだ全部を読んでいません。

でも、父が自分のためだけに書いたであろう手帳ですが、残してくれて本当に嬉しいです。

 

 

『このあとどうしちゃおう』では「みんなを見守っていく方法」というのがいくつも書いてあります。

その方法は・・・・これは泣けました。

 

 

このタイミングでこの本を手にすることができたことに感謝します。

 

 

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休み明け、私にしては記事を一気に書いた感があります。

ここで少し休憩いたします・・・(この波の粗さに自分でもあきれています)

「見ようとすればすべて見えるんじゃないかと思っているんです」高木正勝

おおかみこどもの雨と雪』と『バケモノの子』は大好きな映画です。

 

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この映画の音楽を担当していた高木正勝さんが、あるサイトでおっしゃっていることがとても興味深かったので紹介します。

 

高木:最近はみんな「見えないもの」に重きを置いて、それにすがっているように感じます。

だけど僕は逆に、見ようとすればすべて見えるんじゃないかと思っているんです。倍音の話にしてもそう。それは実際に、現象としてそこにあるし、昔の人にはそのことが見えたからこそ、ピアノなどの楽器が生まれた。

僕はそれに、ここへ越してから気が付きましたし、たぶん、気が付きたくて越したんだと思う。

 

 

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人口約20人の小さな村で暮らす高木正勝、「見えるもの」の発見

http://www.cinra.net/column/10sounds_takagi

 

 

 

高木正勝さんが暮らす家の周辺風景

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作曲家は風景から音が聴こえて曲を創るのでしょうか・・・

 

 

 

そういえば、衆生を救う観音菩薩様は「音を観る」と書くことを思い出しました。

いきとし生けるものの、声なき声、音なき音を全てすくい取ってくださる慈悲深さを「観音」と呼んだ昔の人の感性に畏敬の念を感じます。

 

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 見ようとすれば(見えないものも)見えるとおっしゃる高木さんの映像作品を見て聴いていると、自分の体とそれを取り囲む空間の境目があいまいになり、何か原初の記憶のようなものを思い出せそうな感覚になります。

 

 

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どうやら彼はある種の「界面」を描こうとしているのではないかと思い至るようになった。
曲になる前の音楽、誰が演奏するでもない音…なにかが産み落とされる瞬間のひらめきのようなものが漂う連続。
彼の映像は、細胞が分裂するかのようなモーションを見せることが多いのだけれど、
「分裂する細胞」を描くのではなく、「分裂」という動的な事柄こそ彼が見せようとしているものだと。

出典 高木正勝という天才 - impact disc

 

 

かい‐めん【界面】

気体と液体、液体と液体、液体と固体、固体と固体、固体と気体のように、二つの相が互いに接触している境界面。相の一方が気体の場合は、一般に表面という。

 

 

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高木正勝(たかぎ まさかつ) 1979年生まれ、京都府出身。繊細なピアノ演奏とコンピューターを使った音楽制作のほか、世界を旅しながら撮影した「動く絵画」のような映像作品も手がける多才なアーティスト。2009年には日本語版『Newsweek』で「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれ、世界的な注目も集めている。オリジナル作品としては2009年に1stアルバム『pia』をリリース後、2013年『おむすび』、2014年『かがやき』などを発売。CM楽曲も提供しており、SHARPAQUOS」、サントリー南アルプス天然水」、JR東日本「行くぜ、東北」など、誰もが一度は耳にしたことのある名曲も多い。細田守監督作品では2012年に『おおかみこどもの雨と雪』、2015年に『バケモノの子』の劇中音楽を担当。映像ではUAYUKIなどのミュージックビデオを制作。2013年から兵庫県の山奥に移住し、制作活動をしている。 

 

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私は今年自分で野菜や花を育てましたが、種が育ち花や木になる様子を見ていて、小さな種の中に大きな生命が内蔵されている種ってすごいと思っていました。

 

ところが最近、ある本でこんな文章を見つけました。

 

「人は種の中に生命があるから種が木になると思っています。しかし、種が木になるのではありません。

種が生命に吸収されながら、その生命が作用して自ら変化するのです。

その生命が種を木にさせ、木に花を咲かせ、実をならせるのです。」

 

「悟りの瞬間」素空慈

   

その方は、私たちは変化しなければならない時には自分の世界に固執せず、安心して大いなる生命に吸収されることによってこそ成長することができる、と書いていました。

  

私は種の中にはやはり生命は宿っているのだと思います。ただ、種の中の生命だけで育っているのではないということ、種に内在する生命が変化を求め、それを取り巻く生命とお互いに出会い作用することで(大いなる)生命の中に吸収されながら、成長すると説明していることに共感しました。

 

自分の体が制限あるただの孤立した物体ではなく、果てしなく広がる豊かな生命の中に抱かれて、吸収されることで成長していくと考えることは私にとって自分の世界が広がるようであり、安らぎをも感じました。

 

 肉体的な変化も大きな命との一体化のプロセスと思えば、老いることが劣化のように言うのは違うような気がしました。

内面的な変化も自ずからの必然なことなのでしょう。

変化の流れに身を任せていくことが成長であり、自然であるならば、抵抗せずに素直に吸収されようかと思いました。

 

 

 高木さんの作品に触れて 目に見えない世界が自分にとって大きな関わりがあるのを感じていたら、最近読んだ本の言葉がすっと体に入ったので思わず書いてしまいました。

思いつくままの記事でわかりにくくてすみません。

自分の覚書みたいな記事なので、そっと流してくださいませ(*ノωノ)

 

 なんだか堅かったのでハリネズミちゃんの動画でなごんでください。

険しい目が食べ物であっさり変わります(これこそ私みたい)

 

www.youtube.com

『ハリネズミの願い』でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。

 

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 谷川俊太郎さんが

「大笑いしてるうちにぎくっとして、突然泣きたくなる21世紀のイソップ」と絶賛した

ハリネズミの願い』の紹介です。

(おおいにネタバレですので注意)

 

親愛なる動物たちへ

ぼくの家にあそびに来るよう、キミたちみんなを招待します。

・・・・・でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。

 

 

 他の動物たちとうまくつきあえない孤独なハリネズミが、誰かを招待しようと思って書いた手紙です。

この手紙を読んだ時、「ああ、この手紙はまるで私だ!」と思ってしまいました(笑)

 

招待の手紙を書いたのに、今までだれも訪ねてくる友達がいなかったハリネズミは、もしも○○が訪ねて来たら?と想像して不安に襲われます。

もしもクマがきたら? ヒキガエルがきたら? ゾウがきたら? フクロウがきたら? ありとあらゆる動物が訪問する想像は突拍子もなく、それでいていかにもありそうでもあり、思わず笑ってしまいますが、ふと身につまされ・・・まさに先述の谷川俊太郎さんの言葉そのままです。

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 こんなに可愛い絵ですが、「孤独」「自分自身」「存在」「単純さと複雑さ」「空間と無」という言葉が登場したり、意外に哲学的だったりするんです。

 

 ハリネズミが想像する、みんなが訪問することで起こるであろう「アクシデント」の底には、コミュニケーションについて誰もが持つ不安が横たわっています。

「自分を理解してもらえないのではないか」「一方的な要求や期待をされるのではないか」「お互いの話題がかみ合わないのではないか」「知らずに傷つけてしまうのではないか」という不安です。

 

ハリネズミのジレンマという寓話を聞いたことがあります。

お互いに近づこうとするのですが、自分の身を守ろうとするハリでお互いを傷つけてしまうという喩えだそうです。

 

物語のハリネズミは自分のハリが嫌いで、それが原因でみんなに嫌われていると思っています。

好かれるためにハリがなくなった自分も想像しますが、悲しい気持ちになりました。

「ハリのかわりに翼をもっていたら、孤独ではなくなるのに・・・」 と思う一方で、そのハリを含めた自分のありのままをみんなが受け入れてくれることを想像します。

 

そんなハリネズミが訪問客を喜ばせようと、いろいろなもてなしをすることを空想するのですが、それぞれの結果(これも空想)に思わずドキリとします。

たとえば・・・

相手の言うとおりにしてばかりいて、自分が淋しくなっただけでなく、相手もがっかりして去ります。

「みんながおいしいと思うようにと、あれこれ付け足した雲の上までそびえたつケーキ」は結局「だれにとってもひどいケーキ」でした。

ハリネズミは思います。「ぼくは、自分でおいしいと思うケーキを焼くべきなのかもしれない」と。

 

こうして、さまざまな動物が訪れることを延々と想像しては不安や後悔を味わううちに、日は過ぎて冬眠の季節が近づきます。

  

 

本の題名であるハリネズミの願い」はどうなるのかと、だんだん祈るような気持で読んでいきますと、とうとうハリネズミは最初に書いた招待状を破いてしまいます。

 

「やっとはっきりわかった。ぼくはだれにも訪ねてきてほしくないんだ」

 

もう誰も邪魔することはないだろうと思ったハリネズミですが、

その時、予期せぬお客が訪れます。

 

 

「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」

と、リスが訪問したのです。

 

その訪問はごく自然で、ささやかなものでした。

 特別なことは何もしなくても、お互いがありのままでいながら、心地よい時間が過ぎます。

 

リスは招待されたから来たわけではありません。

心配や気遣いで訪問したのでもありません。

 

「なんとなく、キミが喜ぶかもしれないと思って」

 

なんて素敵な理由でしょう!

 

  

また会おうね」

ハリネズミは自分が知るもっとも素敵な言葉を胸に、安心して長い冬眠に入ります。

 

 

近づこうとするのになぜか、相手を傷つけてしまう自分。

そんな自分を見せないように、もっと別の自分になりたいと思って、自分らしくないことをして疲れてしまう。

嫌われることを怖がって相手の気持ちばかりを気にして、自分らしさがわからなくなってしまう。

ハリという孤独を持ったハリネズミは私とよく似ていました。

 

 リスと一緒に過ごす時、ハリネズミのハリは身を守る必要はなく、そのままでハリネズミを美しくさせていたことでしょう。

 

 リスの訪問の後、ハリネズミはそれまで 大嫌いだったハリを「自分にとって支えであり、頼みの綱である」と思えるようになるのです。

 

 ありのままでいいのだと、自分一人ではなかなか思えません。

いくら大げさなほめ言葉や、高価なプレゼントをもらっても思えません。

 

お互いがそのままでいることがうれしいと思える友が一人いてくれたら・・・

 

ありのままの自分でいる幸せこそが、周りを幸せにすると思えるかもしれない。

欠点と思っていた自分らしさを支えとして、頼みとして生きることができたら、それはなんて素敵なことでしょう。

 

 

 

こんな大人のイソップ物語を作った作者は・・・

 トーン・テレヘン Tellegen,Toon

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1941年、医師の父とロシア生まれの母のもと、オランダ南部の島に誕生。ユトレヒト大学で医学を修め、ケニアでマサイ族の医師を務めたのちアムステルダムで開業医に。1984年、幼い娘のために書いた動物たちの物語『一日もかかさずに』を刊行。以後、動物を主人公とする本を50作以上発表し、国内外の文学賞を多数受賞。取材嫌いでメディアにほとんど登場しないが、オランダ出版界と読者の敬愛を一身に集めている。『ハリネズミの願い』は大人のための〈どうぶつたちの小説〉シリーズの一冊。

 

 

 この物語を読んで、ブログのことを考えました。

お互いが自分らしくあることで、お互いが元気になれる。

 心のままに訪問し合い、安心して心を通わせる。そして「また会おうね」

それが私の願いです。

 

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遅ればせながら、日記提出いたします。

お久しぶりです。みなさま、お元気ですか?

忘れられてしまわぬように、絵日記ならぬフォト日記を提出いたします(〃艸〃)

 

今年は庭に野菜やお花を育てました。

 

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 キュウリのツルが指に巻いてくれたのは嬉しかったです!

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キュウリとトマトはたくさん採れて、買わずにいろいろな料理にして食べましたよ。

 

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これはボリジ、食べられます。勇気の出る花だそうです。

ほんのり甘くて、ゼリーのトッピングにしていただきました。

 

f:id:ley-line:20160908193517j:plain ピコティという名前のコスモス

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清々しく、明るく、真っ直ぐで、元気をもらえます。

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もちろん、海にも行きました!

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台風で波が高かったですが、去年のように遊泳禁止にはなりませんでした。

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f:id:ley-line:20160908190056j:plain 完全防備の私(黄色いビキニのお姉さんではありません)

 

 

そして誕生日には主人から花をもらいました!何年ぶりだろう・・・

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f:id:ley-line:20160908190915j:plain ジョバンニ君、すかさずチェック

 

 

こんなふうに過ごしております。

みなさまの記事も読ませていただいています💛

休んでいる間にスターをいただいたり、読者登録もしていただいて、本当に感謝しています。

また記事もアップしていきたいと思っていますので、その時はよろしくお願いします。

 

 


イルカと泳ぐ

 

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夜空のような砂浜。天にあるように地にも・・・

少しお休みします。

こんにちは。いつもありがとうございます。

 

実は私の仕事の方が立て込んで参りました。

それに加え、家族に気持ちをもっと向けてあげなくてはならないことがおきまして、しばらくブログをお休みします。

ときどきサボっては皆さんに心配をおかけすることがありましたので、きちんと休ブログ届を出しておきます(笑)

 

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ヤン・リーピン「シャングリラ」祈りの舞い

東京レポート第2弾!<祈りの舞い編>

 

ヤン・リーピンの「シャングリラ」を観てきました!

 

「シャングリラ」の日本公演はisakuさんの記事で知りました。

以前から気になっていた公演でしたが、これが「シャングリラ」最後の公演と知り、すぐにチケットを予約しました。

 

levites.hatenablog.com

 

  

 

 

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「”シャングリラ”とは”美しい場所”を意味する言葉です。

私たちはこの作品の中で、人間が本来持つ”美しい気持ち”を表現しようとしています。

自然や生命に対する憧れや畏敬の念を言葉ではなく、昔から行われてきた踊りや歌によって表すのです」

                    (ヤン・リーピン) 

 

 

ダンサーであり振付家でもあるリーピンさんは、雲南省少数民族に昔から伝わる踊りや歌を自分の足で現地を巡ってリサーチ。

各部族の歌自慢、楽器・踊りの名手の若者をスカウトし、彼らをパフォーマーとした本物の雲南の歌踊を舞台で再現しました。

 

ヤン・リーピンさん自身も中国雲南省少数民族、白(ぺー)族出身。

幼いころから踊りが好きで「踊るために生まれてきた」と自身も語っています。

今では国宝とされる舞踏家ですが、恵まれた環境で順風満帆という人生ではなかったようです。

彼女が幼いころ、父が妻子を捨てて出奔。

リーピンさんは長女として11歳で妹や弟がいる母を支えることになり、月給が30元と聞いた歌舞団のオーディションを受けてプロのダンサーになりました。

      

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太古より私たちは自然との関係の中でしか生きることができません。

 

時には優しい恵みであり、時には厳しい試練でもある自然に対し、私たちは自分の体を使って踊り、歌い、太鼓をたたき自然を司る神との交信をすることで、自然との関係をとろうとしてきました。

 

こうした民族的な儀礼や祭祀、日常の労働の歌は本来は人に見せるものではありません。

舞台化するにあたり、リーピンさんは「生命が求める」本来の歌や踊りである状態に舞台をもっていく行くことで、エネルギーを失わせないようにしているそうです。

 

 

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リーピンさんは歌舞団の中で才能の点はもちろんですが、特殊な存在(問題児)でもあったようです。

 

幼いころから動物や自然と会話をするようにして踊ってきた彼女は、画一的な踊りのレッスンが大嫌いでよくサボったとのこと。

 

 

今でも「あなたの踊りの師匠はどなたですか?」という問いに

「しいて先生をあげるならば、昆虫」と答えたそうです。

 

 リーピンさんには蝶のはばたく音が聞こえると言います。

 

全然聞こえないとおっしゃるかたもいますが、私にはとてもはっきり聞こえます。

 

白(ぺー)族には

「いちばん小さい音が、いちばん大きく聞こえる」

という言い方があるんです。

 

ものすごく小さな音ほど逆に大きく聞こえるんです。

 

 

 それはどうしてか?という問いに・・

 

 

 

聞こうとする心があるから。

目で見ようとしないで、耳を澄ましてみると、小さくてささやかな音が聞こえてくるんです。

 

 

「それと、鳥の話し声も聞こえます。鳥と人間は使っている言語が違うだけなので、彼らが何を話しているか私には理解できるのだと思います。

ただ、それを言葉で表すことはできない。でも、何を言っているかわかるし、それを耳にするととても楽しい気分になれます。」

 

 

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ヤン・リーピンさんの「シャングリラ」まさに「祈りの舞い」でした。

鳥肌が立つほどの祈りの舞いを観ることができたこと、私自身にとっても大きな意味がありました。

紹介してくださったisakuさんに感謝です!

 

 

 中国でもなかなか観ることができないというヤン・リーピンの「シャングリラ」、今回の日本公演が最後と聞き驚きでしたが、新作の準備をしているそうです。

 

 

「今の社会は精神的なものが失われて、物質社会になってしまい、人と人との信頼感が失われてしまいました。

 

戦争は一人ひとりの心の中に、敵を作ってしまう。

 

大きな意味での戦争と、小さい意味での心の内側がすごく危機に瀕しているいるということです。」

 

 

 

 今までは美しいものだけを表現してきましたが、これからはありのままの現実を表現すると言います。

彼女がこれから世界に向ける、新たなるメッセージに心から期待します。

 

 

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5年前の東北大震災が起きて間もない時期、公演に日本を訪れたリーピンさん。

「それは当然のことです。」とテレビのインタビューで答えていました。

 

 

今回の公演中期間中に熊本で地震が起きました。

ヤン・リーピンさんの祈りの舞いがまさにこのタイミングで日本で舞われたこと、偶然ではないと思います。

ヤン・リーピンの「シャングリラ」今日が最終公演です。祈。